対馬・壱岐を壊滅状態にした異賊「刀伊」を、なぜ『光る君へ』で竜星涼さん演じる隆家が迎撃したのか?ロバート秋山さん演じる実資との交流から読み解く
◆硬骨の人、小野宮実資の周辺 三条院に同情を寄せたのは隆家だけではなかった。硬骨の人、藤原実資もその一人だった。『光る君へ』ではロバート秋山さんが演じている。 小野宮流に属したこの人物は、永年勤続賞でも与えたいほどに政務に精励した。「賢人右府」(右府は右大臣のこと)と称されたほどで、円融・花山・一条の3代の天皇の蔵人(秘書的役割を担う要職)を勤め、その後は参議・右近衛大将そして右大臣へと栄進を重ねた。 その日記『小右記』(小野宮右大臣に由来)は半世紀にも及ぶ一級の史料として知られる。儀式・政務について詳細が綴られており、刀伊来襲の一件も『小右記』からの情報が圧倒的である。 実資は道長より10歳ほど年長で、媚びない姿勢は日記の随所でもうかがえる。 そうした点で、隆家とは親子ほどの差はあったが距離は近かった。 既述した通り、ともに三条院派だった。藤原済時の娘せい子(三条上皇の東宮時代に入内。せいの字は女偏に成)立后のさい、公卿の多くが道長の威を憚って参列しなかったが、実資・隆家たちは参じた。 自立志向という点でも両者は共通していた。そうした関係もあってのことか、実資との情報交換は隆家の九州下向後も続けられていた。刀伊事件の詳細が『小右記』から共有できるのも、隆家から実資に戦況を伝える私信が多く載せられていたからだ。
◆都の状況 ところで、刀伊事件勃発の時期、都はどのような状況だったのか。参考のために『小右記』の寛仁3年(1019)3月から4月頃の記事を眺めておこう。 3月初旬に石清水臨時祭がなされたが、実資は眼病で参内を取りやめたこと、さらに中旬には東宮(敦良親王)宅から出火があったこと、数日後には道長が病んで出家したこと、さらに子息教通(頼通の弟)も腫物で悩んでいたこと、下旬にはかつて三条天皇の皇后だった藤原せい子の出家のことなどが見えている。 またこの時期、実資邸の北側の地で不審火が続発、常陸介藤原惟通の娘が焼死するなど、都大路での盗賊の放火が頻発していたこと、「当時、スデニ憲法ナシ、万人膝ヲ抱ヘ仰天ス(今は法の効力もなくなり、人々は天を仰ぎ嘆いている)」といった状況が続いていた。 4月中旬にも放火・盗賊の記事が散見、御所の北道での追剥、襲芳舎(内裏にあった御殿の一つ)や小野宮の東方での放火等も重なっていた。「連夜京中往々、斯ノ事アリ(連夜にわたり京中で不穏な事件が頻発した)」と見えている。
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