PL学園「最強世代」とも呼ばれた主将・今江敏晃たちの代は、戦わずして最後の夏を終えた「悲劇の世代」となった
プロ野球選手の甲子園奮戦記(12)~今江敏晃(元ロッテほか) 高校時代、今江敏晃は「PLブランド」に誇りを持ちながらプレーしていた。PL学園は桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」をはじめ多くのプロ野球選手を輩出し、全国制覇7度を誇る超名門。 【写真】楽天チア「東北ゴールデンエンジェルス」2024年新メンバー9人・フォトギャラリー 【2年夏にPLの4番として甲子園出場】 今江がPL学園への入学を決意した中学3年の1998年、同校は松坂大輔(元西武ほか)を擁した横浜高と延長17回の激闘を繰り広げた、そして入学直前となる99年のセンバツではベスト4。いずれも今江の心のなかに鮮明に残っている。 甲子園でのハイレベルな戦いを目の当たりにした今江には、「負けるわけがない」という思いがあった。 「これまで先輩方が築いてくれた歴史によってPL学園があるので、自分たちがやっていることが一番だと思っていました」 とくに今江の世代は、中学時代に世界大会に出場経験のある朝井秀樹(元近鉄ほか)をはじめ、桜井広大(元阪神)、小斉祐輔(元ソフトバンクほか)と、のちにプロ入りする選手が4人もいたほど粒揃いだった。 そんな未来の「最強世代」において、中心的存在だったのが今江。 1年夏の大阪大会からベンチ入りし、秋の新チームからは主軸を担った。2年夏には4番打者として、大阪大会で23打数11安打(打率.478)、1本塁打、9打点と、4番の仕事をまっとうし、甲子園出場を果たす。 しかし、今江にとって初めて出場した2000年夏の甲子園は「いい思い出がない」と語る。 「2年生で4番を任されていたんで、『いい試合をしないといけない』とは思っていたんですけど、全然打てずに......」 札幌南(南北海道)との初戦こそ、2回にレフトへタイムリーを放つなど4打数2安打、2打点と4番の働きを見せた。ところが2回戦の明徳義塾(高知)との"名門対決"では、チームが16安打9得点と爆発するなか、今江は4打数1安打と存在感を示すことはできなかった。