「実家じまい」の先延ばしで大赤字 松本明子さん「親が元気なうちに話題に出して」 【Reライフフェスティバル2024春】『直伝! 幸せな「実家じまい」のすすめ』
3月に開かれた「朝日新聞Reライフフェスティバル2024春」で、タレントの松本明子さんが『直伝! 幸せな「実家じまい」のすすめ』と題して講演。だれも住まなくなったふるさとの実家を維持し続け、25年間で1800万円以上もかかった失敗談を語りました。「実家じまい」を決断してからの大変な道のりも明かし、「両親が元気なうちに、少しでも早く家族で話し合いをしましょう」とアドバイスしました。(文・松崎祐子、写真・伊藤菜々子)
夢のマイホームだった、こだわりの実家
生まれ故郷、香川県高松市の実家は、サラリーマンだった父が宮大工さんに依頼して建てた夢のマイホームだったんです。昭和47年(1972年)築で高松市内から8、9キロぐらい離れた山の中腹に建てました。純和風の日本家屋平屋建て、天井のところに欄間を掲げていたり、床の間があったり。洋間もあって6DKでしたかね。100坪弱だったと思います。 私は建築当時、幼稚園児でした。実家で育ちまして、ブラウン管の中で歌う山口百恵ちゃん、ピンク・レディー、松田聖子ちゃんらの姿を見て、「アイドル歌手になりたい」という夢が膨らみました。まだ瀬戸大橋がかかっていない時代、フェリーに乗って上京して、オーディションを受けては落ち、受けては落ちしました。芸能界入りに反対していた両親を説得して、最後は日本テレビの「スター誕生!」という番組で合格しました。最初はアイドル歌手としてデビューしたんです。1年先輩が「花の82年組」というアイドル大ラッシュの時代でしたが、私は鳴かず飛ばずで、なかなか仕事がうまくいかなかったですね。 10年ほどたって、やっとアイドルから「バラドル」って呼ばれる時代になりまして。「進め! 電波少年」や「TVチャンピオン」というチャレンジものの番組などをレギュラーでやらせていただくようになりました。 20代後半ですかね、私も「やっとこれで親孝行ができる」と思いました。定年退職になった父親、そして母親を香川県から東京に呼び寄せて、3人での賃貸アパート暮らしが始まりました。兄も上京して家庭を持っていましたから、その頃から香川に残してきた実家が「誰も住まなくなった家」になってしまったんです。
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