「戦争はドラッグだ…」世界で賛否両論の大ヒット映画が描く「国民国家崩壊」のヤバすぎる真意
兵士とジャーナリストの境界線
それは一言でいえば、戦場ジャーナリズムにつきものの狂気です。ジョエルは戦場で感じる興奮を「勃起」に例え、最初恐怖で怖気づいていたジェシーは、銃撃戦の最中で写真を撮った極限状況を経て、「生きている実感があった」と言わずにはおれません。 ニューヨーク・タイムズの記者で15年以上戦場を渡り歩いたクリス・ヘッジズが「戦争はドラッグだ」と述べていることが補助線になります。ヘッジズは、戦争は破壊と大殺戮を伴うが、「生涯かけても手に入らなかったものを、簡単に投げ与えてくれる」「それは生きる目的、意味、生きる意味である」と断言しました。 戦争にまつわる魅力は決して失われることがない。破壊と大殺数がともなうが、生涯かけても手に入らなかったものを、簡単に投げ与えてくれるからだ。それは生きる目的、意味、生きる理由である。戦闘のただなかにいると、日々の生活がいかに浅薄で空虚なものかを実感する。日常の会話も放送もくだらないことばかりだ。それに引き換え、戦争こそは魅惑の万能薬。決断とか大義とかを意識させてくれるのが戦争だ。日常に意味を見いだせないでいる者達、意欲の失せたガザ地区のパレスチナ難民、フランスで差別される北アフリカ移民、先進地域で安全をむさぼり怠惰に生きる若者達、彼らは皆、戦争の誘惑には抵抗力がない。(クリス・ヘッジズ『戦争の甘い誘惑』中谷和男訳、河出書房新社) 重要なのは、ヘッジズが戦争によってナショナリズム的なものが活性化する点についても紙幅を割いていることです。ヘッジズのいうナショナリズムとは、「国家、人種、民族、宗教、地域、企業、学閥、派閥などといった人間の社会的単位が、ひとつの共通の利害のもとに結集するためのいわば接着剤」のことで、敵味方と区別して殺傷し合う非日常の空間をともにして運命共同体としての性格を強めていくのです。つまり、破壊と大殺戮によって「接着剤」が「大義」としての強度を持つに至るのです。順序が逆ではないことがポイントです。 赤いサングラスの所属不明の兵士(ジェシー・プレモンス)がリーたちを拘束し、「おまえはどのような種類のアメリカ人か?(What kind of American are you?)」と尋問するシーンは、最も衝撃的な場面として取り上げられています。しかし、両者ともヘッジズのいう「戦争の誘惑」に負けてこの場所にいることにもっと注意を払う必要があります。戦争特有の高揚感に囚われ、死と殺戮の現場に赴いてしまう点において、血に飢えた兵士とジャーナリストが同類と言わないまでも、その境界が極めてあいまいなのです。 実存レベルで見ると、両者は戦争中毒者のカテゴリーに入る可能性すらあります。ヘッジズは「戦闘がもたらす恍惚感は、強力な感染力のある嗜癖(アディクション)である」と表現しましたが、その対極にいるのは、道中に遭遇した「難民キャンプの支援者たち」や「内戦から中立の立場を貫くコミュニティのメンバーたち」なのです。これらの人々にとって好んで修羅場に飛び込む両者は明らかに異質な存在です。