マルチな活躍・大林素子「コンプレックスを最大の武器に」
スポーツキャスター生活が現在の基盤に
オリンピックは後の1992年バルセロナ、1996年アトランタの合わせて3大会に出場。1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリア・セリエAのアンコーナと契約しプレーした。 大阪の名門・東洋紡と契約し国内復帰、アトランタ五輪後の1997年に引退した。「いちばんいい状況がアトランタの時だったんで、自分の中ではやりつくした最高のものが終わったと思いましたね」 引退後は、フジテレビの番組でスポーツキャスターとして活躍。様々なスポーツの現場で厳しさをいっぱい知ったという。99年のバレーワールドカップの時は、朝の中継や夕方のハイライトが1日5回で、日々2~3時間の睡眠という時もあった。しかし、こうした状況が、いまの自分の基盤の礎となったという。 その後、つんく♂のプロデュースで身長175cm以上のアイドルユニット「デカモニ。」として歌手デビューしたり、ドラマ出演も果たしたが、単発で中々続かなかった。 だが39歳の時、劇団をやっている同級生の芝居を観劇後、打ち上げの場で演出家に「私も出させてください」と直訴。それが、現在も続く舞台「MOTHER~特攻の母 鳥濱トメ物語~」につながっているという。
夢は祈っても叶わない、叶えるためには動かないと
太平洋戦争末期、大東亜戦争で、特攻隊の出撃地となった鹿児島県、知覧飛行場にある富屋食堂が舞台。彼らの飛び立つ最後の日まで、特攻隊員をあたたかく迎え、また戦後にはアメリカ兵のお世話もした「お母さん」である鳥濱トメさんの自伝を演じるもので10月から東京や山梨、愛知などで公演、大阪では10月31日と11月1日にシアタードラマシティ(同市北区)で公演予定だ。 「これは語り続けなければならない作品だと思うんです。実在の名前も使わせて頂いたり。これは仕事とかいう感覚ではなくて。学校の子供たちにも知らない世界を伝えていきたいと思っています。これは一生演じるつもりですから」と意気込みも伝わる。 背の高さでいじめられた小学校時代。後に掲げたオリンピック選手の夢を叶えた後、かつて封印していた芸能界への夢も叶え、日本を代表する演出家・蜷川幸雄氏の舞台にも3度出演するなど、こうして女優としても活躍を続けている。 「私は背の高さでいじめられコンプレックスを持っています。普通じゃないから指をさされたり白い目で見られるのはみんな一緒。だから、そのコンプレックスを最大の武器にして戦っています。背が高いからできることも、いろいろありますし。夢は祈っても叶わない、叶えるためには自分から動かないと。大河ドラマに出たいとか夢もまだまだありますよ」 そんな大林は、きょうも様々な活動をこなしながら、元気に夢に向かって活躍を続ける。