被災地に響く「戦場のメリークリスマス」3.11以降、坂本龍一に何が起きたのか
坂本龍一が8年ぶりのアルバム『async』をリリースした。非同期を意味するアルバムタイトル。サンプリングされた様々な音が、時に低く流れるピアノやシンセサイザーと絡みながら、ハーモニーやゆがみを奏でる。中でも印象的なのは、東日本大震災の際に津波で被災した宮城県農業高等学校のピアノの音をサンプリングした曲「ZURE」。ピアノの弦を弾く音は、水琴窟の水音や心電図のモニター音のようにも聞こえ、ズレというより命を強く感じさせる。このアルバムの制作過程やアカデミー賞を受賞した『レヴェナント: 蘇えりし者』の作曲過程を追いつつ、震災以降の坂本龍一の“変化”を写し取ったドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開される。80年代、テクノロジーとともにあった音楽で一世を風靡した坂本の目は、耳は、いまなにを捉えているのか? スティーブン・ノムラ・シブル監督に聞いた。
なぜ坂本龍一を撮りたいと思ったのか?
映画が始まってすぐ、津波でなにもかも失われた土地が映り、坂本が津波ピアノ(=津波に被災した宮城農高のピアノ)と対面する。そして原発を有する双葉町を訪れ、再稼働反対を明言しに国会前へと移動する。冒頭からずっと続く緊張感。そして9分30秒後、被災地の体育館で坂本は『戦場のメリークリスマス』の演奏を始める。それはまるで鎮魂歌のように張りつめていた空気をなだめ、一気に解き放した。平静を取り戻した私たち観客はいま一度映画と向き合う。不思議な構成だ。なぜ坂本龍一を撮りたいと思ったのか? スティーブン・ノムラ・シブル(以下シブル):2012年5月、たまたま坂本龍一さんをお見かけしたんです。私はいまニューヨークで暮していますが、京都大学助教授だった小出裕章さんが日本の放射能汚染の現状をプレゼンテーションされるというので出かけた先に坂本さんもいらしていた。最前列に座って静かに話を聞き、終了後、小出さんに深々と頭を下げ、自分の名刺をお渡ししていました。私は坂本さんのファンでしたが、90年代中ごろ以降、忙しくなり、活動をフォローしていませんでした。でもその時の姿を見て、ものすごい衝撃と変化を感じたのです。あれ、いったい坂本さんになにが起きたのだろう。それを突き止めてみたいと思いました。私も坂本さんもニューヨークに移ったのは1990年頃。遠くから日本を見てきたわけですが、3.11以降の日本には衝撃を受けました。坂本さんを見かけた際、同じような気持ちを抱かれているような気がして、音楽ドキュメンタリーを作ることを思いつきました。重要なのは変化でした。その変化を音で、映画で表現するべきだと思ったのです。