被災地に響く「戦場のメリークリスマス」3.11以降、坂本龍一に何が起きたのか
坂本龍一は80年代のテクノロジーの象徴だった
シブルさんがファンだった頃の坂本龍一像はどんなイメージだったのか? シブル:私にとって坂本さんは80年代のテクノロジーの象徴する存在でした。テクノロジーはピカピカで、みんなが中流で、秋葉原にあるものに希望があるみたいな無敵の時代。テクノロジー=みんな幸せになれるという幻想の時代というか、アメリカの50年代みたいな無垢な時代というか。坂本さんがいたシンセバンドであるYMOは、その花形ですよね。なかでも坂本さんはカッコイイ人だった。そういう人が、いま思えば身を削るような思いで、ストレスもすごかったと思いますが、震災後の日本に対して行動を起こした。そのことにストーリーを感じたんだと思います。 若き坂本龍一の顔が大きくプリントされたアンディ・ウォーホルのシルクスクリーンがアップで映しだされる。その後ろを通り過ぎる坂本。映画を見ている者は否が応にも気づかされる。時の流れとそれぞれの時代を生きる坂本龍一の在り様の変化を。映像というのはそういうことなのだ。 シブル:そうですね。この映画は、音楽ドキュメンタリーという坂本さんのポートレートですが、その背景に言葉にならない変化があるわけです。その変化が坂本さんの様々なポートレートを通じて視覚に入ってくる。ポートレートは奥行きを出す要素の一つという意識はありました。
津波ピアノに「怒り」を感じた
冒頭に津波ピアノの映像を持ってくるという構成。そこにはどんな意味を込めたのか? シブル:津波ピアノには、「怒り」のようなものを感じました。坂本さんが壊れたピアノを演奏する姿、ピアノにあそこまで注目している姿に象徴的なものを感じました。壊れたピアノはテクノロジーそのものであり、津波が来たことを刻む証言者でもある。なによりもあの音がすべてを物語っていると感じたんです。坂本さんご自身も『async』の中であの音を使われていますが、映像でも使いたかった。ウォーホルの絵もそうですが、映画は言葉ではなく、画や音で感じてもらうことができます。すべてがあそこにある。そう思ったんです。津波ピアノが軸になることは構成を考える中でずいぶん早くに決まったことでした。 津波ピアノは、映画をとどめるアンカー(錨)であり、アンガー(怒り)を表現するものであった。 シブル:そうですね。 本作は音楽映画であり、映画音楽の映画でもある。坂本龍一の音楽との向き合い方を映す一方で、作曲家は映画とどのように相対しているのかということも明らかにする。そのサンプルも『シェルタリング・スカイ』『ラストエンペラー』『戦場のメリークリスマス』『レヴェナント: 蘇えりし者』など映画ファンが興味を持つ作品ばかり。ストレートに坂本龍一を撮れば音楽に引っ張られるところだが、映画という要素が加わったため、その映画の作り手たちの意図や思いが、坂本の思考を様々な角度からあぶりだす装置となっているのも面白い。 シブル:『async』の中に収められている「Fullmoon」には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ポール・ボウルズが自著を朗読する声がサンプリングされています。映画音楽においては、ご本人の歩みを忠実に追いましたが、すべてカラーが違うので、編集は大変でした。なかなか思い通りにいきませんでしたが、映画音楽はものすごく素晴らしくて……。