「我々は人間じゃないんだ」 修理できなければ“捨てる”兵器の一部 零戦搭乗員が見た最前線【戦後80年】
◆ミッドウェー 目の前で部下が火だるまに
その後、空母「蒼龍」はミッドウェー島の攻撃に向かいましたが、ここで日本は、開戦以来、初めて惨敗を喫することになります。原田さんはこの時も、敵の航空機から味方の空母を守る任務についていました。 原田要さん(取材時94歳) 「(1942年)6月5日の朝、水平線の彼方に、ボツボツ敵の飛行機が見えてきた。『すぐ飛び上がれ』ということだった」 魚雷を積んだアメリカ軍の攻撃機が水平線上に現れると、原田さんは部下2人と編隊を組み、銃撃を加えました。敵も反撃するなか、次の攻撃に移ろうとした時、部下が狙い撃ちに遭い、原田さんの目の前で火だるまとなったのです。
◆「これが最前線なんだ」 重傷の兵士を前に軍医が…
この戦いでは、日本の空母4隻が沈没。降りる空母がなくなった原田さんは海上に不時着し、4時間漂流した後、味方の駆逐艦に救助されました。 その甲板上は沈んだ空母の乗組員であふれていました。 原田要さん(取材時94歳) 「駆逐艦の甲板にあがって、びっくりしました。それこそ地獄です。手がない、足がない、顔がわからない…。裸みたいにみんな燃えちゃっていた。それで苦しい、痛い、水って騒いでいる」 自分の体は“なんともなかった”という原田さんは、「苦しんでいるのを、早く何とかしてやってください」と軍医官に頼んだといいます。 原田要さん(取材時94歳) 「軍医官は『そう言うけども、これが最前線なんだ。こういう人は手をかける人手もないし、かけてもどっちみちダメなんだから、君のようにまたすぐ手を加えれば飛べる人間を先にするんだ。平和の医療と違うんだ、反対なんだ』と」 原田さんは、自分たちが人間でなく兵器の一部として扱われていると感じたといいます。 原田要さん(取材時94歳) 「我々は人間じゃないんだと思う。鉄砲の弾か、機関銃なんだと」 「修理すれば弾を撃てる機械から直して、銃身が折れ曲がって弾が出ないというのは捨てちゃうんだと。これが戦争なんだと」