あなたはなぜアドバイスしたくなるのか【原文】How to Unhook from Your Need to Give Advice
私たちが頻繁に使いがちで、かつ、相手の気持ちを不快にさせるフレーズは「あなたは~すべきです」である。私を含め、多くの人々が同僚や友人、家族に対してこの言葉を頻繁に使っている。ただしここで問題なのは、その発言は発する側の一方的な判断に基づいているということだ。 相手があなたに「どうすべきか」と尋ねない限り、あなたの意見はそもそも求められていない。 あなたが相手を助けようと思っているかどうかは問題ではない。「あなたは~すべきです」という言葉からは、あたかも相手が間違っているもしくは、考えが甘いというようメッセージが伝わるのだ。相手が何か反論を言ってくるにせよ、あなたの反応は、「相手が正しく行動していないか、何をすべきか分かっていない」という意味あいとなる。 相手が自分の能力に対して自信を持っていない場合は、相手はあなたの言葉による判断を「自分は十分な知識がない」「自分はあなたほど優秀ではない」という裏付けとして受け取ってしまう。特にあなたが相手に許可を与える立場にある場合、あなたの手助けする習慣は健全な関係を育むことにはならない。 アドバイスをしようと判断することは、習慣的なものである。人は生まれつき、無意識のうちに物事を判断する習性がある。朝目覚めた瞬間から行うあらゆる行動は、あなたの脳が最善と判断したものに基づいている。あなたの自動的な判断は、無意識的な小さな決断パターンとなり、それによって次に何をするかを考えることに時間を費やすことなく、日々を過ごすことができる。 私たちは常に、無意識のうちに、何が良いか悪いか、何が正しいか間違っているかを判断し、そしてその視点を他人と共有している。 日々の判断は簡単な行為で、熟考することを必要とはしない。もしあなたに判断力がなかったら、毎朝ベッドから起き上がるのは難しいだろう。また、ひとつひとつの選択や行動を考え抜かなければならなかったら、神経が麻痺してしまうだろう。 また、他人に対する言葉や反応を意識的に選択しなければならかったら、それも神経を麻痺させてしまうだろう。まわりから、あなたはゆっくり考える人のように見えるだろうし、他人と対話するたびにあなたがすべてのことに熟考することに耐えられる人はほとんどいないだろう。それに対し、人の脳は瞬時に相手の言動を判断し、何を言うべきか、するべきかを見極めることができるのだ。 より良い人間関係を築く最善の方法のひとつは、「私は人を批判しがちな、偏見を持った人間です 」と自分から宣言してしまうことだ。 通常、あなたは悪意を持って判断しているわけではない。悪意がないからこそ、自分の批判的な発言を即座に合理化し、「そんなつもりじゃなかったんだ」とか 「助けようとしただけなんだ」といった言い訳をしたりする。それらの防御と正当化は、自分を擁護するためのものだ。 また、自分の知識を軽視されたり、子ども扱いされたりしたときにも、あなたは否定的な反応を示すことがあるだろう。家族同士ではよくやりがちなことである。人は、相手に頼んでもいないのに指図されるのは好まないが、自分が相手にすべきことを指図するのは別のことだと考えている。そうではないだろうか?