「極楽で暮らしてみたけれど」すべてに満足しているという不幸せ サンパウロ市在住 毛利律子
今こそ読むべき、人間の哀しすぎる業欲の果て
菊池寛(きくちかん、1888―1948年)の短編小説「極楽」では、死後に長い旅路を経て、念願の「極楽」の住人となった一組の夫婦の顛末を描いている。 人間は特定の宗教を信じていなくても、一般的に善いことをしていたら死後、極楽(天国)へ行き、悪いことをしたら地獄へ行くということを無意識に信じている。 極楽とは、これ以上は無い最高の世界のことである。ところが皮肉にも、念願の「極楽生活」が叶って、毎日が安穏・平和にどっぷり漬かる幸せな毎日が続くと、そのうち人間は何を考えるようになるか。何か物足りなさを感じるようになる。 極楽生活に飽きはじめると、その虚しさを埋めるために、地獄を覗いてみたくなる。刺激を求めて「地獄世界」を夢想する。これはあの世の極楽だけの話かというと、この世の娑婆世界の話でもあると暗示している。 それだけではない。人生の終末期に、どこで、誰と住むのが一番幸せかという、最も難しい選択、「終の棲家問題」まで連想させられるのである。 人間の哀しすぎる業欲の果てを教える仏教的な物語である。まずは物語の流れを辿ってみよう。
主人公・おかんの死出の旅路
物語はおかんの葬式の場面から始まる。 老母おかんは、染物屋、近江屋宗兵衛の妻であったが、六十六歳を一期として、卒中で急死した。穏やかな安らかな往生であった。特に主人が亡くなってからというもの、さらに信心を強くしていたので、おかんの死に接した家族・縁者は、さすがに立派な大往生だと感嘆した。 さて、棺桶の中でおかんは葬儀の席に集まった人々の声を聞いて色々と思う。心から可愛がっていた初孫のすすり泣く声は、おかんの胸をかき乱した。やがて、その泣き声がだんだんと子守唄の様になって意識が薄れていった。おかんは、家族が心から自分の死を嘆いていると確信した。死に方としてはこの上ないことだった。 再びほんのりとした意識が還ってきた。死んでからどれほど経ったのだろうか。 今は夜明か夕暮か。昼とも夜とも付かない薄明りが、ぼんやりと感じられた。ここはどこかしら。右を見ても左を見ても、灰色の薄闇の中だ。足下もおぼつかないが、一心に先を急ぐしかない。ただ、ここが冥土ということだけはハッキリと分かった。 これは、極楽へ行く道だろうか、それとも地獄かと、おかんは歩きながら、不安になった。しかし、生前、仏に願ったこの道は、極楽へのただ一つの道であると信じて、一心不乱にお経を唱えながら歩き続けた。夜も昼もない。長い長い薄闇の道であった。 どのくらい歩いたのだろうか。ひたすら、長く長く歩いたと云う記憶だけがあった。いくら歩いても、足も痛まなければお腹も空かなかった。 生前、真面目に信心していた時、必ず何時かは極楽へ行けると、幾度も聞かされた。先に旅立った夫も極楽にいるであろう。十年振りに顔を合わせることができる。そう思うと、おかんは力が湧いてきて、老いの足に力を入れ、懸命に歩き続けるのだった。 おかんのそうした望みが実現する時が来た。闇が、ほんの僅かずつ薄紙を剥ぐように白み始めて、闇の中に、乳白色の光が溢れるように広がるのを感じた。おかんはとうとう極楽へ着いたのだ。
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