「極楽で暮らしてみたけれど」すべてに満足しているという不幸せ サンパウロ市在住 毛利律子
平穏無事な生活に耐えられない
ところが、その肝心の極楽へ来て見ると、苦も悲しみも何一つない。老病生死の厄もない。こんな生活が何時までも続くかと思うと、居ても立ってもいられない。しかし、おかんのそんな気持ちとはお構いなしに、同じような平穏・平和な日が毎日続いた。 「地獄はどんな処かな」 おかんにそう訊かれた時、夫の顔がはっと華ぎ、好奇心に突かれるのが見えた。 「そうさなあ? どんな処だろう。恐ろしいかも知れん。が、ここほど退屈はしないだろう」 そう云ったまま夫は、黙ってしまった。おかんも、口を閉ざした。が、二人とも心の中では、地獄の有様を想像した。 五十年七十年と年が経つに連れて、おかんは極楽のすべてに飽きた。その頃には夫とも余り話をしなくなっていたが、まだ見た事のない『地獄』の話をする時だけ、二人は不思議に緊張し、興奮し、心が弾んだ。 想像力を、極度に働かせて、血の池や剣の山の有様をいろいろ話し合った。こうして、二人は、彼等が行けなかった『地獄』の話をすることだけを一つの退屈しのぎとしながら、極楽の蓮台に未来永劫坐り続けることであろう。 物語の底に、この世で極楽もどきの暮らしをしている人間も、同じような苦しみを抱えて生きている、と言いたげに、作者は物語を終えるのである。
法華経自我偈に説かれた極楽の風景
菊池寛が仏教徒であったかどうか、筆者は知らない。しかし、この物語の極楽浄土は、法華経如来寿量品自我偈に説かれた極楽の写し絵のようである。 仏はその中で次のように説法する。 「私(釈尊)は久遠の昔に仏となって以来、無数憶の時を経て、不滅の身をもって常に人々を教化するために、休むことなく説法を続け、量り知れないほどの多くの人々を仏道に入らしめて今に至っている。 仏の世界というのは、天人が常に満ち、園林茂り、金剛瑠璃の種々の宝で飾られた堂閣が並んでいる。珍しい樹々に美しい花果が咲き、人々はその下で遊楽している。天上から諸天の神の演奏する伎楽がきこえ、曼荼羅華の美しい花びらが、諸仏や人々の上に降り注ぐ。 (ところが)人間社会は過去世に積んだ福徳も尽きて、大火事で焼き尽くされても、修羅、餓鬼といった苦しみが世の中に充満し、醜悪な、苦悩の絶えない世界に住み、阿鼻叫喚の内に堕ちている。 この罪深き人々は、正しい教えを受け入れないため、何度生まれ変わっても、仏に縁することもなく、ここで死んでゆく。そういう者を導くために、私は常にこの娑婆世界に居て法を説いているのです」と、仰せになられるのである。
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