「極楽で暮らしてみたけれど」すべてに満足しているという不幸せ サンパウロ市在住 毛利律子
極楽の門の向こうに
気が付くと大きな御門の前に立っていた。おかんはおずおずと御門の中に入った。御門の中の有様は、有難い御経の言葉と全く同じであった。眼前に広がるのは、水晶を溶かしたような功徳の池である。しかも、美しい水底には、一面に金砂が敷かれて、降り注ぐ空の光を照り返している。大きい真紅の蓮華が咲き乱れ、金銀瑠璃玻璃の楼閣が連っている。 おかんは極楽を一目見て、生きてた頃に積み重ねた身の果報を思い、嬉しくて踊り跳ねんばかりであった。 おかんは、極楽で懐かしい夫の姿を見て、わっ! と嬉し泣きに泣きながらすがり付いた。が、不思議に、夫はあまり嬉しそうではない。『お前も来たのか』と云うような表情でおかんのために席を半分分けた。 おかんは長旅から極楽に着いて夫と再会した喜びで娑婆での話を何日も語り続けた。家族や孫娘の話、知人や親類の事も、何度も繰り返した。 さて、ちょっと一段落して、気分が落着いたころ、おかんは極楽の風物を改めて見回した。見回す限り燦然たる光明が満ち満ちている。空からは天楽が、不断に聞えて来る。楽しい日が続いた。暑さも寒さも感じなかった。物欲もなく、108の煩悩は、夢のように消えていた。「ほんとうに極楽じゃ。針で突いたほどの苦しみもない」と、おかんは大満足。しかし、夫は何とも答えない。 同じような毎日が続いた。娑婆のように悲しみも苦しみも起らなかった。風も吹かなかった。雨も降らなかった。蓮華の一枚の花弁が散るほどの変化も起らなかった。 極楽の暮らしも五年ほど経つと… 「何時まで坐るんじゃろ。何時まで坐っとるんじゃろ」 おかんはある日、ふと夫に聞いて見た。一寸苦い顔をして夫は言った。 「何時までも、何時までもじゃ」 「そんな事はないじゃろう。十年なり二十年なり坐って居ると、又別な世界へ行けるのじゃろう」と、おかんは、腑に落ちないように訊き返した。 「極楽より外に行くところがあるかい」と、夫は苦笑いして言った。 極楽へ来てから早、五十年もの日が経った。 「何時まで坐って居るのじゃろう。何時まで、こうして坐って居るのじゃろう」 「くどい! 何時までも、何時までもじゃ」と無口になっていた夫はそのように返事をしたまま目を閉じた。 ものうい倦怠が、おかんの心を襲い始めた。娑婆に居る時は、信心の心さえ堅ければ、未来は極楽浄土へ行けると思うだけで、日々の暮らしが楽しみであった。娑婆から極楽へ来る迄の、あの気味の悪い、薄闇の中を通る時でさえ、未来の楽しみを思うと、少しも歩みを止めなかった。
【関連記事】
- 《寄稿》ウクライナ戦争の時代に改めて読む=『ビルマの竪琴』上等兵の手紙に感泣=「無数に散らばった同胞の白骨を、そのままにして国に帰ることはできません」=聖市在住 毛利律子 2024年9月21日
- 《特別寄稿》投下79年目に読み返したい原爆文学=米国日系作家ヒサエ・ヤマモト=サンパウロ市在住 毛利律子 2024年8月22日
- 特別寄稿=言葉は心の顔=日本語学習に奮闘する外国人就労者=サンパウロ在住 毛利律子 2024年7月27日
- 《特別寄稿》開国時の日本人の美徳「清き明き直き心」(きよきあかきなおき)=渡辺京二『逝きし世の面影』から学ぶ=サンパウロ在住 毛利律子 2024年6月15日
- 《特別寄稿》ブラジルも高齢化社会に突入=幸せな余生を過ごすための課題=サンパウロに在住 毛利律子 2024年5月16日