永源遙“伝説”を3選手が匿名暴露「若手に猪木の位置確認」「税関で足止め」「ツバの真実」
【プロレス蔵出し写真館】「前田逃げるな!そこにいろ!」 ダイビングボディーアタックを狙ってコーナー上段に上った永源遙が立ち位置を指示して、そう叫んだ。場外に落とされた前田明(後に日明)は、永源の動きを察知して避けていたのだ。もちろん、永源は最初から飛ぶつもりはなく〝お約束〟のムーブ。このやりとりに観客はドッと沸いた。 【写真】“狂虎”シン戦でダメージを負った猪木を抱える永源 今から43年前の1981年(昭和56年)9月11日、新日本プロレスの青森・むつ大会でのひとコマ。 この日のメインイベントはアントニオ猪木&坂口征二&長州力組VSスタン・ハンセン&バッドニュース・アレン&ピート・ロバーツ組。セミはタイガー戸口がシングルでアンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。前座で藤波辰巳(現・辰爾)とタイガーマスクも出場していて、第2試合で藤原喜明が登場。この試合は第3試合で行われた。今、振り返るとまさにオールスターキャストだった。 当時の新日本は若手同士の〝バチバチ〟とした硬い試合あり、永源や荒川真(後のドン荒川)のコミカルなファイトありと、バラエティーに富んでいて観客を飽きさせなかった。取材していても楽しかった。 ところで、永源といえば2016年に都内のサウナで倒れ、急死(急性心筋梗塞)。先月11月28日が命日だった。 当時、新日本の若手だった3選手が〝法界坊〟永源を偲んだ(本人希望のため匿名)。 ――永源さんの思い出は 若手A「日本プロレスの頃、渋谷・円山町に住んでいた。『桜田(一男=ケンドー・ナガサキ)と(キラー)カーンをよく連れ歩いたけど7、8人チンピラが前から歩いて来ても、みんな避けて行った』と永源さんは自慢げに話してた」 ――2人ともガタイがいいですからね 若手B「永源さんのことを呼び捨てにしてたのは星野(勘太郎)さんと猪木さん、坂口さんだけでした。永源さんが〝さん〟付けで呼ぶのは星野さんと猪木さんしかいなかった。それぐらいボス的な存在だった」 若手C「永源さんの奥さんって日航のスッチー(※キャビンアテンダント)だったんですよ。機内で永源さんが『おなか痛いから薬くれ』って。で、『お姉さん試合来る?』って言って電話番号聞き出した」 ――ナンパですかね? B「イヤ、本当におなかが痛かったみたい(笑い)。結婚が決まって坊主(頭)やめてパンチパーマにしたときに坂口さんが『永源は彼女ができたんで髪、伸ばし始めた』ってボソッと言ってたな」 C「朝、旅館(※当時は日本旅館が主流)で若手がメシ食ってると、あとから入って来た永源さんが腹叩きながらデカい声で『ああ今日はいい〇ソが出た』って言うのには参った。みんな顔見合わせて、メシがノドに突っかかりそうになった。でも誰も文句言えなかった(苦笑)」 A「若手が唯一、永源さんの試合で楽しみにしていた試合があったんです。荒川さんとの試合で、俺たちセコンドに永源さんがわざと場外に出て『(親指を立てて)控室から見てるか?』って聞くんです。俺たちが通路見て『見てないです』って小っちゃい声で言うと、リング下にもぐりこんで、ビール瓶に入ってる水を口に含んで来て、荒川さんからチョップやられると、その水をブワーッと吹いて…」 B「やるとき必ず若手に聞くんですよね。『これ見てるか?』って。変なことをやるとき、ふざけるときは必ず聞かれました」 ――これって? 一同「猪木さんのことですよ(笑い)」 A「ツバ(飛ばし)は昭和50年代初頭(75年)からやってる。試合するでしょ? 用もないのにちょっとロープ際で何かやられるとすぐ外、出てって。(観客に)美人の女性のいるところで(エプロンに)上がってやるんですよね。オレなんかが対戦相手だと『カー』って言いながら上がってくるんですよ。タンとつばきをいっぱいためて。そして、叩けっていうふうに持っていく」 B「ジャパンプロレスでグアムに合宿に行ったときのことです。その時に税関で永源さんだけ捕まった。(税関職員に)『お前、3泊も4泊もするのに、なんで歯ブラシ1本なんだ。なんでこれしかないんだ?』って。セカンドバッグの中に歯ブラシ1本だけ入ってた(笑い)。Tシャツとタイツは若手が持ってたんですけど、ホントそれだけ」 C「普段から荷物が少ない人なんですよね。『パンツなんて洗えば一日で乾くし、シャツも夜洗えば朝乾いてるからいらないんだ』って。(税関で)止められて、若手は大笑いしてました」 ――永源さん、ウチや日刊スポーツの臨電(記者の原稿送稿用に臨時電話を開設していた)で勝手にタニマチに電話してたのを思い出しました。「社長、どうも。名産の〇〇を送らせてもらいました」なんて。日刊はあまりに電話料金が高くなり過ぎて、対策取ってました。 B「そのおかげもあり、全国にタニマチが多かったですよ。巡業中、僕らをよく酒席に連れて行ってくれました」 一同「若い奴をいつも連れて歩くタイプでした。面倒見がよかったですよね」 そう3人は永源の人柄を振り返って懐かしんだ(敬称略)。
木明勝義