W杯ゴールパフォーマンスが波紋 「コソボ紛争」を振り返る
フランス2度目の世界一で幕を閉じたサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会では、旧「ユーゴスラビア連邦」にまつわる国の選手の活躍や出来事がありました。旧ユーゴは1990年代、長く激しい紛争に突入し、解体されました。当時「民族浄化」と呼ばれる大量殺りくが繰り返されたことも知られています。W杯をきっかけに、その紛争の歴史や、解体された旧ユーゴ諸国の歴史について振り返りたいと思います。元外交官で在ユーゴスラビア連邦共和国大使を務めた経験もある美根慶樹氏に寄稿してもらいました。 【写真】W杯でモドリッチが活躍 旧「ユーゴ連邦」紛争の歴史と現在
「双頭の鷲」を両手で模す
きっかけはサッカーW杯ロシア大会の1次リーグ、スイス×セルビア戦でのことでした。試合はセルビアが先制しましたが、後半7分、スイスのMFジャカが強烈な弾丸ミドルシュートを放って同点にし、また、試合終了間際にはMFシャキリが敵陣をドリブルで突破してフィニッシュし、スイスが2対1でセルビアを下しました。 ジャカもシャキリも得点した直後、両手を胸の前で組み合わせ、鳥が羽ばたいているようなゴールセレブレーションを行いました。
これに対し、セルビアの新聞は、「スイスの挑発」と報道し、また、シャキリのスパイクにスイス国旗とともにコソボ国旗も描かれている写真を掲載しました。セルビアの新聞は両選手のポーズがアルバニアの国旗に描かれている双頭の鷲を表していると取ったのです。 なぜ、スイスとセルビアの試合にコソボとアルバニアが関係してくるのでしょうか。スイスとセルビアは普通の友好関係にありますが、コソボとセルビアはお互いに認め合っておらず、住民同士はこれまで激しく衝突を繰り返してきました。今でも関係は良くありません。そして、コソボ出身のシャキリも、コソボ出身の両親を持つジャカも、試合の相手がセルビアであったので、スイスの代表でありながら民族的な感情を爆発させ、セルビア人が嫌うことをしてしまったのです。
セルビアにとってコソボは聖地
コソボは2008年2月、独立を宣言しました。それまではセルビア共和国に属する自治州でした。面積も人口も新潟県よりやや小さく、少ないくらいで、住民の9割以上はアルバニア人です。宗教はイスラム教であり、言語は「アルバニア語」で、セルビアなどスラブ系の言語ではありません。 しかし、コソボはセルビア人にとって聖地です。バルカン半島は中世のころからキリスト教とイスラムの両勢力が相接し、せめぎ合う地域でした。 17世紀の末、コソボ付近でオスマン・トルコ軍とオーストリア軍が激しい戦闘を行い、住民のセルビア人が多数殺害されました。そして、3万人とも言われるセルビア人が北へ逃れて行きました。これを契機に、コソボのアルバニア化が始まり、アルバニア人が住民の大多数を占めるに至ったのです。 しかし、セルビア教会はコソボに留まりました。現在も多数残っていますが、アルバニア人によって破壊された教会も少なくありません。教会の周囲はアルバニア人に囲まれており、非常に危険な状態になっているところもあります。 私が2001年に訪問したあるセルビア教会は、異様な雰囲気に包まれていました。わが国は、住民が安全に外へ出られるよう、国連開発計画(UNDP)を通じて小型バスを供与することになっていましたが、バスはまだ到着していませんでした。教会の事務員はそのバスを首を長くして待ち望んでいると訴えていました。彼女の暗く弱々しげな目つきは忘れられません。