W杯ゴールパフォーマンスが波紋 「コソボ紛争」を振り返る
2008年、コソボが独立を宣言
ミロシェビッチは翌年の大統領選挙で、野党民主党のコシュトゥーニツァに敗れました。しかし、大統領は代わってもミロシェビッチの考えを支持する人たちは選挙後もかなりの勢力を維持していました。その背景には、NATOの爆撃の時からセルビアの後ろ盾になっていたロシアと中国が、コソボの独立を認めないセルビアを引き続き支持していたという事情もありました。 一方、欧米諸国によるコソボ支持も変わりませんでした。そこで、セルビアとコソボの間を仲介してコソボの地位を確定するための交渉が国連主導で行われましたが、結果は得られないまま、2008年、コソボは独立を宣言したのです。2018年1月現在で、我が国を含め107か国以上がコソボを承認しています。 この間、欧州連合(EU)は米国と並んで西バルカンの安定のため大きな役割を果たしました。セルビアもコソボもEUへの加盟を希望しており、セルビアとEUはすでに交渉を開始しました。また,コソボは一歩遅れていますが、準備段階である「安定化・連合協定」は既に締結されました。コソボはこの協定に従いEU加盟の準備中です。 EUはセルビアに対してコソボとの関係改善を求めており、両国の和解が進むことが期待されます。
----------------------------- ■美根慶樹(みね・よしき) 平和外交研究所代表。1968年外務省入省。中国関係、北朝鮮関係、国連、軍縮などの分野が多く、在ユーゴスラビア連邦大使、地球環境問題担当大使、アフガニスタン支援担当大使、軍縮代表部大使、日朝国交正常化交渉日本政府代表などを務めた。2009年退官。2014年までキヤノングローバル戦略研究所研究主幹