恐竜の立ち方は『ジュラシック・パーク』を機に劇的に変わった!?その理由とは
ティラノサウルス・レックス。誰もが知る恐竜の王だが、昔の図鑑や映画でその姿を拝んだ時、いまの姿と全く違うことに気づくだろう。そう、昔のティラノ・サウルスの尻尾は、地面につき仁王立ちなのだ。ゴジラの恰好と言えば、想像しやすいだろう。この姿は1993年の『ジュラシック・パーク』で大きな変化を迎える。これまでの世間の常識を覆し、前傾姿勢の姿のティラノ・サウルスで描かれたのである。この映画以降、図鑑や映画、果ては世界中の博物館までも、ティラノ・サウルスは前傾姿勢で描かれたり展示されたりするようになり、現在に至る。 【画像】こんなに変わった!ジュラシック・パーク以後の恐竜の姿 実はティラノ・サウルスの前傾姿勢は、70年には既に明らかになっていた。70年に古生物学者・バーニー・ニューマンが「ティラノ・サウルスは前傾だった」と論文で指摘したことが始まりという。 ここで、大きな疑問が生まれる。70~80年代の映画や図鑑のティラノ・サウルスを見ても、仁王立ちの姿のままなのだ。93年公開の映画『ジュラシック・パーク』まで、実に23年間もティラノ・サウルスの世間のイメージは更新されなかったのだ。 しかし、23年間という期間は長い。 『ジュラシック・パーク』より前に前傾姿勢のティラノ・サウルスを描いた映画はあるのではないか? 今回、ふと感じた疑問を解き明かすために、世界初の「正しいティラノ・サウルス」を描いた映画のリサーチを開始した。するとそこには恐竜復元の歴史と恐竜映画にかけるクリエイターの情熱が密接につながっていることが分かった。 今年は恐竜映画にとって1914年の『恐竜ガーディ』以来、110周年というアニバーサリーイヤー。ティラノ・サウルス・レックスが初めて尻尾を持ち上げるまでを、恐竜映画の歴史を追いながら、解説していこう。
学術的なデザインを元にスタートした恐竜映画
映像に登場する恐竜たちは、長い歴史の中でさまざまに姿を変化させてきた。その変遷史は、同時に恐竜学の進歩の歴史でもある。まずは、これまでの映像における恐竜を創成してきた2人の人物を取り上げながら、尻尾がいつ立ったのかを調べていこう。 19世紀まで、恐竜学創成期の復元画の恐竜イメージは、トカゲや両生類、伝説のドラゴンの拡大版という趣だったという。しかし、19世紀末に復元画家のパイオニア、チャールズ・R・ナイトが登場して一気に様相が変わることとなる。ナイトの恐竜は、皮膚や鱗の質感、重量感などを既存の現生動物のようなリアリティで表現した「動物画」だったのだ。その姿勢やスタイルは、尾を引きずり、首をもたげるゴジラスタイルだったが、ナイトの復元画はハリウッドにも大きな影響を与えることになる。その影響を受けた人物の中でも、人形アニメーター、ウィリス・オブライエンは、恐竜の「動き」を創り出すこととなる。のちに恐竜映画史において重要な作品となる特撮映画『ロスト・ワールド』(1925年)や『キング・コング』(1933年)の中で、ナイトのリアリズムに裏打ちされた恐竜を映像でつくり出し、観客に動く「恐竜」とはなにを示したのである。 オブライエンが画期的だったのは、その動き方が現生動物の生態や動きを参考にしたリアリティ重視の復元映像であった点である。鉄製の骨組みにスポンジで肉付けし、ゴムの皮を被せられた人形の胸には風船が仕込まれ、呼吸の様子が再現される念の入りよう。これらはオブライエンが古生物マニアだったことに起因する。先の『恐竜ガーティ』も、作者のマッケイがドライブ中に偶然訪れた自然史博物館で、恐竜の化石を見たことから着想を得たという。恐竜映画はクリエイターの想像力だけではなく、あくまで学術的なデザインをソースにスタートしたのである。オブライエンが世界的に名声を得たのが、コナン・ドイル原作の『ロスト・ワールド』や怪獣映画の元祖といわれる『キング・コング』である。登場するティラノ・サウルスは、ごつごつした皮膚の質感を再現してはいるが、まだゴジラスタイルであった。 そして『キング・コング』を観て映画を志し、オブライエンに弟子入りしたのが、人形アニメーターのレイ・ハリーハウゼンだ。 ゴジラの元となった『原子怪獣現る』(1953年)や『タイタンの戦い』(1981年)などで世界的ヒットメーカーとなるハリーハウゼンだが、やはり恐竜映画の演出では抜群の腕前を見せる恐竜マニアであった。『恐竜100万年』(1966年)、『恐竜グワンジ』(1969年)などに登場する肉食恐竜は、まだ直立姿勢ではあるが短い前腕で頭を搔いたり、槍を刺されると目をぱちくりさせて驚いたりする、生物らしさを表現している。