「辺野古反対」知事誕生、衆院選で自民全敗 “潮目”が変わった沖縄の政治
2013年の年末に沖縄県の仲井真前知事が米軍普天間基地の移設容認を表明し、基地問題が大きく動き出してから1年あまり。2014年は、普天間基地などをめぐる沖縄の政治状況がさらに大きく変化した年でもありました。この1年間に沖縄の政治にはどんな出来事があり、どのように変わったのでしょうか。振り返ってみましょう。 【写真】〈ルポ〉2015年、沖縄と「日本」の関係はどうなるのだろう
前知事時代の「移設容認」から一転
まず一番大きな政治的トピックは、11月の沖縄県知事選挙で普天間基地の辺野古移設に反対する翁長雅志・前那覇市長が初当選したことです。 これまでの沖縄県知事選では、保守対革新という構図のなかで、保守陣営は基地問題の争点化を避けて経済振興をアピールしてきました。しかし、この選挙では普天間基地の移設が最大の争点になり、その結果、辺野古への移設阻止を掲げた翁長氏が移設推進を訴える仲井真前知事に約10万票差をつける大差で当選。そこには、辺野古移設に対する地元沖縄の根強い反対意見があるといわれています。 世界一危険な基地ともいわれる普天間基地の問題は、1995年に起きた米海兵隊員による「少女暴行事件」をきっかけに県民の間で基地の撤去を求める声が高まったことから浮上したもので、96年に日米両政府が全面返還で合意、辺野古に代替施設を作る計画が決まりました。しかし、基地の「撤去」はいつの間にか「移設」にすり替えられ、また政治の意向によって結論が揺れ続けます。仲井真前知事も06年の知事選では県外移設を訴えて当選しましたが、13年末に辺野古への移設容認に方針転換しました。沖縄の基地問題は、常に政治に翻弄されてきた経緯があります。しかも、その間、地元沖縄は蚊帳の外に置かれてきました。移設阻止を掲げた翁長氏の圧勝の背景には、こうした事情も大きく影響しているといわれています。 さらに、沖縄の政治状況の変化は、12月の衆議院選挙の結果にもはっきりと表れました。衆院選では県内の4選挙区のうち、普天間基地のある沖縄2区、移設予定地の名護市辺野古のある沖縄3区で自民党前職が非自民候補に約3万票差をつけられて惨敗するなど、すべての選挙区で辺野古移設に反対する翁長氏側の候補が当選。沖縄1区では、共産党の候補者が18年ぶりに小選挙区で議席を獲得しました。この1年間で、沖縄における県民感情の潮目は大きく変わったといえるでしょう。知事選や衆院選の結果は、新しい基地はいらないという沖縄の民意が示されたものだったわけです。