1億円の借金、売れない漫画...「ドラゴン桜」作者が見せた大逆転劇とその舞台裏
『ドラゴン桜』や『アルキメデスの大戦』などのヒット作を生み出した三田紀房さん。今でこそベストセラー漫画家として知られる三田さんですが、30歳になるまで漫画家になることは考えていなかったといいます。夢がなかった少年時代、巨大な借金を背負うことになった20代、漫画を描いても売れなかった30代...そんな三田さんが成し遂げた大逆転劇の背景には何があったのでしょうか。 三田さんの半生を綴った『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』(講談社)が発売されました。講談社にて行われた出版記念の記者会見では、ご自身の波乱万丈な漫画家人生について存分に語られました。
父の死、そして1億円の負債を抱えることに...
三田さんは父親の死をきっかけに、実家の洋品店を継ぐことを決心します。ところが、実は経営状況は苦しく、1億円の借金があることが明らかに。突然巨額の負債を背負った三田さんは借金返済のために苦悩する日々を送ることになります。 「父が亡くなるときにどれぐらいの借金があるか言ってくれれば良かったのですが、やはり子どもには隠していたんですね。亡くなった後になって、親戚からも"お前のおやじに貸してんるだ"と後々言われて判明する借金も多くありました」 洋品店の売り上げと返済額が釣り合わず、自己破産の準備も少しずつしていたという三田さん。しかしここで転機が訪れます。たまたま目についた小学館『ビッグコミック』の新人賞に応募することにしたのです。 「商店を経営していると、問屋の支払いができないという状況が一番メンタルをやられるんです。その日々が毎日続くんですよ。そんな時にふと新人賞に応募しました。当時は、一発マンガで大ヒットを出して、借金をぜんぶ返済してやろうという気持ちではありませんでした。マンガを描くことで"自分の中に別の世界をもう一つ作りたい、自分だけの時間をもちたい"というのが一番の本音でした」 『ビッグコミック』の新人賞は逃したものの、二作目で講談社が主催する「ちばてつや賞」に応募したところ、見事入賞。ここから三田さんの漫画家としてのキャリアはとんとん拍子に進んでいきます。 「編集の方に何か書いて送ってくださいと言われたので送ったら、2,3日で連絡がきて、月刊誌に載せますと言われ、原稿料が振り込まれました。雑誌に載ってお金がもらえる生活になるのは早かったです。 でも、そこでもっと頑張ろうというタイプではなかったので、その後半年ぐらいは、朝、仕事に行く妻を見送ったら、こたつでゴロゴロする生活を続けていました」 そんな生活を続けて、ようやく焦りを感じ始めた折に、小学館の編集者から連載の依頼が舞い込みます。そして東京への移住も決心。30代で岩手県から、東京へと拠点を移します。