1億円の借金、売れない漫画...「ドラゴン桜」作者が見せた大逆転劇とその舞台裏
そして、ドラゴン桜が生まれた
ある時、『モーニング』の編集者から連絡があり、新たな連載の提案をされた三田さん。その時は三田さん、馴染みの編集者、そして新入社員の編集者の3名で話し合いが行われたといいます。次の作品をどんなものにするか、思考をめぐらしながら話し合いがなされたそうです。 「最初は高校教師ものをやろうと言われました。どういう訳か色んな雑誌から、高校教師ものの依頼がありました。しかし、そのたびに高校教師ものがウケない理由をいくつか挙げて、俺は絶対やらないと断っていました」 ただそこで、"勉強ができない子を1年で東大に入れるマンガならウケるかもね"と三田さんは思いつきで発言。馴染みの編集者からもそれは面白そうだと賛同を得た直後、新人編集者からは難色を示されてしまったといいます。 「実は、新入社員の子は灘校から東大に入学していた子だったんです。彼は"クラスの大半が東大に行く。東大なんて簡単なんすよ。だから面白くない"と言ったんです。東大なんて簡単だ、という言葉は逆転の発想を生みました。彼の言葉がなかったら『ドラゴン桜』はなかったですね。彼には感謝したいと思っています」 『ドラゴン桜』はこれまでとは少し違った作品だったと三田さんは明かします。その理由は、作品によって、読者とのコミュニケーションが生まれたことだそう。 「『ドラゴン桜』の作中には、実際に入試で出ている問題を色々いれました。解こうとする人がいるだろうという目論見でいれたんですが、夜中の2,3時に問題を解いたから答えを教えろと編集部に電話をしてくる人がいる、と連載中に編集部からよく報告をうけていました。 一方通行ではなくて、発信したものがリターンとして返ってくる。『ドラゴン桜』は双方向のコミュニケーションがとれるマンガなんだなと思いました。ちょっと変わったマンガだったけど、読者にそういった楽しみを提供できたのは嬉しいです」
三田紀房(漫画家)