犯人は「和菓子屋」でも「教師」でも「学生」でもない…大福を食べて44人が死亡した「史上最悪の食中毒事件」調査チームが突き止めた“真犯人”の正体(1936年の事件)
「食中毒事件」の犯人は…
陸軍では内部で被害者が出たこともあり、医師18人を浜松へ派遣する。その中心となったのが東京帝国大学医学部出身の北野政次(1894-1986)。後に生物兵器の開発や人体実験を行ったとされる731部隊で部隊長を務めることになる人物だ。北野ら軍医は14日早朝に到着、すぐに検査に取りかかり、その日の夕方には原因を突き止める。 彼らが発見した病原菌の正体はゲルトネル菌。これはサルモネラ菌の一つで、主に牛や豚、鶏などの動物の消化管に生息し、感染すると下痢、胃腸炎、発熱などを起こす危険な代物だ。北野らが、この病原菌を発見できたのには理由がある。 数年前より、国内でゲルトネル菌による食中毒事件がたびたび起きており、陸軍でも千葉や京都、鳥取などで計3回発生。中でも鳥取の演習中に起きた食中毒では兵士54人が発症し、うち4人が死亡していた。地元住民が開いた歓迎会に出されたタコ、ちくわ、かまぼこ、サバなどに菌が混ざっていたのだ。 これらの経験から、事前にゲルトネル菌が原因と考えていた北野は浜松に出向く際に同菌の血清を持参。ただちに原因を特定する。なお、この血清は静岡県衛生部に渡され、翌日には正式に世間に公表。毒物混入の噂にパニックになっていた市内はようやく落ち着きを取り戻す。 では、なぜゲルトネル菌が大福に入ったのか。
原因究明のため陸軍は北野に代わり、新たな調査チームを現地に送る。指揮を執ったのは、後に731部隊を率いる軍医の石井四郎(1892-1959)だった。石井ら調査班は三好野の店内を徹底調査しネズミを介して菌が運ばれたことを特定する。 店の天井にネズミ捕りを仕かけたところ4匹が引っかかり、その体内からゲルトネル菌が検出されたのだ。さらに天井裏には無数のネズミの死骸と糞が散乱、そこからも菌が検出されたため、調査班はネズミの糞が混入ルートと断定。さらに大福の打粉からもゲルトネル菌が発見されたことで事件は決着したかのように思えた。
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