【インタビュー】部屋と孤独と写真と。アレック・ソスとの一問一答。|青野尚子の今週末見るべきアート
――大学では写真を学んだのでしょうか。 いや、大学では一般教養のコースを履修していて画家になりたいと思っていた。あるとき学内で小さな写真展があって、それがきっかけで写真に興味を持つようになったんだ。そんなわけで僕はアートから写真に入っていて、マグナムのようなフォトジャーナリズムに惹かれたわけではなかった。大学での写真展には特別有名というわけではないけれど、ポートレイトが出品されていて、それがとても印象的だった。でも大学では人を撮るのが怖くてポートレイトは撮っていない。僕はとにかくめちゃくちゃシャイだったんだ。今、自分がポートレイトを撮っているのを考えるとこれも奇妙だと思う。
――アメリカ人は陽気で社交的、というステレオタイプなイメージがありますが、全員がそうだ、というわけではないですよね。 そう、実際はすごく幅がある。僕は今もシャイじゃないふりをしてるだけなんだ(笑)。
――「Sleeping by the Mississippi」のシリーズではカメラをセッティングしている間、被写体となる人に自分の「夢」を書いてもらったそうですが、そのほかのシリーズでも何か特別なことをしてもらうことはありますか。 これから何をするのか、できるだけ正直に説明するようにしている。わかってもらえないことも多いけどね。とくにアメリカでは美術館に展示されている絵がどのようなコンセプトで描かれているのか、理解している人は少ないと思う。モデルになってくれた人にはプリントやデジタルデータで写真を送るようにしている。でも返事がくることは滅多にない。なぜかはわからないけれど。
――会場にはスティーブン・ショア、ナン・ゴールディン、ボリス・ミハイロフ、ウィリアム・エグルストンら、ソスさんがリスペクトしている4人の写真家のポートレイトが並んでいます。 スティーブン・ショアの作品集『Uncommon Places』は僕のバイブルだったから、ポートレイトを撮らせてもらったときはむちゃくちゃ緊張した。彼は心理学的な側面よりも画面構成を重視していて、どのようにすれば視覚的な問題を解決できるかを追究している。ナン・ゴールディンは僕とは違うやり方で愛や感情といったものを表現していると思う。ボリス・ミハイロフの写真にはユーモアがあるけれど、ちょっとダークなユーモアだ。僕の写真にもそういう側面はあるけどね。エグルストンも人の心理や感情について語ることはなかったと思う。