トランプのふしぎな勝利(上)顰蹙発言・行動に米国人は惹かれた 大澤真幸
すべての立場の連合体
だが、それにしても、トランプの勝利、クリントンの敗北はふしぎである。どうしてトランプが勝利したのか。この勝利は何を示しているのか。 普通に考えれば、クリントンの圧勝でなくてはならない(ように思える)。クリントンの陣営は、ほとんどすべての立場、ほとんどすべての価値観を包摂しているからである。クリントン側は、ほぼすべての立場の連合体である。その中には、ウォールストリートで働くエリートもいれば、逆に、オキュパイ・ウォールストリートの運動家もいただろう。バーニー・サンダースのような擬似社会主義者も含まれている。もちろん、フェミニストもクリントン支持だ。LGBTの活動家も含まれている。エコロジストは、もちろん民主党支持者である。そして、ついに、主だった有名な共和党員さえも、クリントン支持者に含まれているのだ。いったい、どこにトランプの「取り分」があったのだろうか? 今回、声高に何か政治的なことを主張するような人は、ほぼ全員、クリントンを支持していた。このことを示しているのが、アメリカの大半の新聞、圧倒的に多数の新聞が、クリントン支持を表明していた、という事実である。世論調査をすれば――終始クリントンが優位だとはいえ(もっとも今振り返ってみれば、隠れトランプ支持があったので、クリントンの優位はかなり割り引いて見なくてはてらないわけだが)――両者はいつも拮抗していた。だが、マスメディアのレベルでは、九割方、クリントンの支持者が占めていて、クリントンの圧勝である。この不一致(マスメディアにおけるクリントン圧勝/世論調査における接戦)は奇観と言ってもよいほどだ。 クリントン側の構成は、多文化主義的な連合にもとづくものだ。(他人を傷つけることがないならば)どんな価値観をも公平・平等に受け入れましょう、というのが、多文化主義である。この多文化主義的な寛容の、アメリカ風の別名が、political correctnessである。これは非の打ち所もなく正しく、「どう見ても間違っているような奴」を別にすれば誰でも寛容に平等に迎え入れ、包摂するやり方なのだから、絶対に負けるはずがない。……このように見えた。しかし負けた。 実は、この絶対の強みに見えた多文化主義的な公平性にこそ、敗因があったのだ。どういう意味かを明らかにするには、もうすこし説明を重ねなくてはならない。