トランプのふしぎな勝利(上)顰蹙発言・行動に米国人は惹かれた 大澤真幸
なぜ選挙予測は外れたのか
開票が始まったときには、まだほとんどの人がクリントンの勝利を疑っていなかった。開票後、数時間を経ったときでさえも、アメリカのテレビ番組は、クリントンが最終的には勝つことを前提にして、情勢を分析していた。どうして、ほとんどの人は、クリントンが勝つと予想していたのだろうか。 トランプのふしぎな勝利(下)“危険な賭け”人々は革命を求めた 大澤真幸
その理由は簡単である。直前の意識調査の結果で、クリントンが優位にあることが示されていたからだ。いや、開票開始のときでさえも、クリントン優勢だとベテランのジャーナリストが伝えていたのだから、出口調査の結果を加えても、クリントンが優位にあるという予想は覆らなかったのである。 トランプの勝利も驚きだが、もっと驚くべきは、選挙結果の予測が外れたことである。どうして外れたのか。大統領選挙は、今回が初めてではない。これまでの経験、これまでのデータの蓄積によって、誤差の分も含め、普通だったら、十分に精度の高い予想ができたはずだ。日本の選挙速報でもわかるように、まともな民主国家では、選挙結果はきわめて正確に予想することができる。 ところが、今回は予想が外れた。どうしてなのか。すでに何人もの評論家が指摘しているように、かなりの数のトランプ支持者が、調査の段階では嘘をついたからだ、と考えなくてはならない。トランプに投票するつもりなのに、あるいはトランプに投票したのに、クリントンを支持しているとか、まだ誰に投票するか決めていないとかと答えた有権者が、無視できないほどにたくさんいたのである。 この事実に、われわれはまずは注目しなくてはならない。予想が外れたということは、これまでの選挙ではこんなことはなかった、ということだ。つまり、調査にわざわざ嘘の回答で応ずる人など、かつてはいなかったのだ。また、クリントンの支持者の方には、調査で嘘をつく者はいなかった(もし両側に同じくらいの頻度で嘘つきが混じっていれば、相殺されて結局、正しい予測ができたはずだから)。どうして、クリントン支持者は正直なのに、(一部の)トランプ支持者は嘘つきなのか。 トランプ支持者は、トランプを支持することは恥ずかしいことだ、と思っているからである。少なくとも、彼らはこう思っているはずだ。トランプを支持することは悪いことだ(道徳的に問題があるとか、愚かだとか)と他人(ひと)は思うだろう、と。トランプを支持しているなどと公言すると、他人から、「お前は恥知らずだ」とか「お前は愚かだ」とか見なされるに違いない、と。 こういう感覚はクリントン支持者にはまったくない。また過去の大統領選挙にも、このような感覚で投票した者はいなかった。これは、今回の選挙のトランプ支持者(のみ)に現れた、特有の態度である。 もっとも、大統領選挙という枠を外せば、このような態度は決して新しいことではない。現代的な現象ではあるが、他にまったく見られないことではない。これは、私が、かねてから「アイロニカルな没入」と呼んできた現象である。アイロニカルな没入とは、簡単に言えば、「そんなことはわかっている。けれども…」という態度のことだ。一方では、対象を批評的・冷笑的に突き放す意識をもっている。しかし、他方の行動の水準では、「それ」にはまっていたり、それにコミットしていたりする。意識と行動の間にねじれがあるのだ。 「トランプに投票するなんてバカなことだ(と思われる)とわかっている。けれども投票する」。これがアイロニカルな没入である。こうした態度は、内的に矛盾している(意識していることとやっていることとの間に食い違いがある)ので、めったに見られないめずらしいことと思うかもしれないが、実はそんなことはない。ほとんど人が、日常的に、「アイロニカルに没入」している。たとえば、CMに影響されて、何かを買うときがそうである。 考えてみると、ほとんどのCMは、ふざけている(ソフトバンクの白戸家を思えばよい)。「な~んちゃって」的な含みが、CMにはある。それでも、そのCMには効果があるのだ。つまり、われわれ消費者は、そのCMに影響されて、商品を買う。このとき、われわれは、その商品にアイロニカルに没入しているのだ。「あの広告は嘘っぱちだとわかっている。それでも…」という具合に、である。 しかし、これまで、アメリカ大統領の選挙のような重要な選択、現在の地球で人間がなしうる選択の中で最も大きな影響力をもつ選択では、アイロニカルな没入は見られなかった。大統領選挙では、人々はベタにまじめに選択してきたのだ。トランプは、アイロニカルな没入の結果として生まれた、最初のアメリカ大統領である。