ミッドシップのLM001! ディーゼルのLM003! 7リッターV12のLM004! 「チータ&LM002」だけじゃかったランボルギーニ「SUV計画」の全貌
チータはアメリカ軍への納入を計画した軍用車だった
ランボルギーニがSUVブームのなか、2018年にデリバリーを開始したSSUV(スーパースポーツSUV)の「ウルス」。このウルスが誕生したことによって、改めてクローズアップされたのがランボルギーニの歴史にその名を残すクロスカントリー4WD車の「LM002」だ。 【画像】1966年にカロッツェリア・ザガートが一台のみ製造した400GTがベースの「400GTS」などランボルギーニの貴重なワンオフモデルの画像を見る 今回はこのLM002が誕生するに至った背景とともに、その前後に開発されたプロトタイプを含めて、ランボルギーニ製クロスカントリー4WDの流れを、もう一度振り返ってみたい。 ランボルギーニがクロスカントリー4WDを開発するに至った直接の理由。それは、アメリカの軍用車両メーカー、MTI(モビリティ・テクノロジー・インターナショナル)によって基本的なコンセプトが決定されていた軍用のオフロード4WD車(高機動車)を、ランボルギーニで設計、製造して納入しようという計画にあった。 ランボルギーニによって決定されたその仕様は、基本骨格を強固なチューブラーフレームとし、サスペンションは4輪独立懸架式に。そしてリヤにクライスラー製の5.9リッターV型8気筒エンジンを3速ATと組み合わせ搭載するというものだった。 1977年のジュネーブショーで発表された、そのプロトタイプには「チータ」の車名が与えられていたが、不運なことにそれがアメリカ軍に正式採用されることはなかった。納入に成功すれば、チータはランボルギーニにこれまでとは比較にならないほどの利益を生み出したはずだが、それは幻となり、ランボルギーニに逆に大きな損失を与えてしまった。 さらに、当時のランボルギーニは、BMWとのジョイント・プロジェクトでE26、すなわちあの「M1」の生産を請け負う計画にも失敗。1970年代半ばのランボルギーニの経営状態は、このふたつのプロジェクトによって大きくマイナス方向へと傾く結果となった。
チータからLM002に至るまでの間にもプロトタイプがある
それでもランボルギーニは、チータの進化型として新たなオフロード4WDを市場に送り出すという計画を進めていく。1981年のジュネーブショーではチータのスタイルを色濃く残した民生用のオフロード4WDプロトタイプ、「LM001」が発表された。このモデルはAMC(アメリカン・モーターズ)製の5.9リッターV型8気筒エンジンをミッドに横置き搭載したもので、ボディはチータと同様のロールバー付きのオープンと、いかにも民生用ともいうべきクローズドの両仕様が選択できるという計画になっていた。 さらに、ランボルギーニはさらなるパフォーマンスを求め、カウンタックLP500S用の4.7リッターV型12気筒DOHCエンジンの搭載にもチャレンジ。その最高出力は332馬力と発表され、最高速も180km/hを記録するに至った。 だが、これだけの高性能エンジンをミッドに搭載するのは操縦安定性の面で問題が大きく、ランボルギーニはその対策としてエンジンの搭載位置をリヤミッドからフロントへと移すことを決断する。そして誕生したプロトタイプが「LMA」であり、そのコンセプトを継承したプロダクションモデルこそが、1986年のブラッセルショーで発表された「LM002」にほかならないのだ。 そのスタイルは、基本的にはLM001のそれに共通するコンセプトだったが、これまでエンジンルームだった部分はエマージェンシーシートを備えたデッキへと姿を変えている。 チューブラーフレームやサスペンションにもさらにチューニングの手が入れられ、搭載エンジンはデビュー当初はLMAと同様の332馬力版が用意された。シリーズ途中でカウンタックが5000クワトロバルボーレに進化すると、それに使用された450馬力の5.2リッターV型12気筒へとLM002のパワーユニットも変更された。ちなみにこの5.2リッター版のLM002が誇った最高速の公称値は201km/hという数字だった。 さらに、LMシリーズには3.5リッターのディーゼルターボエンジンを搭載する「LM003」や、パワーボート用の7リッターV型12気筒エンジンを使用した「LM004」も製作されたが、これらはいずれもプロトタイプのままで量産に移行することはなかった。 唯一の量産モデルとして1993年まで販売が継続されたLM002の生産台数は328台(ほかに321台などの説もある)。フロントフェンダーに備わる三角形のエアアウトレットの造形は、現代のウルスにも継承されていることは周知のとおり。LM002とウルスは、ランボルギーニの歴史のなかで、長い空白の時間こそあれ、確実なつながりをもつモデルにほかならないのだ。
山崎元裕