柴犬のルーツに出会う旅(3完)“柴の祖犬”の郷里に広がる日本の原風景
下山さん宅から数キロ下流にある潮さんのお宅に伺うと、2頭の日本犬の雑種の猟犬と、柴犬がいた。二川地区で見た猟犬と柴がいる家は、ここまで案内してくれた木原さんの実家に続いて2軒目だ。「親父が猟師をしとったけ、昔はうちにもかっこいい石見犬がおったんですよ。あの犬(柴)よりちょっと大きかった。でも、犬の登録制度ができて、うちは登録していないからと、とうとう保健所に連れていかれてしまった。子供の頃のことですが、よく覚えています。その頃までは、放し飼いでどこの家にも犬がおったけん。そういうこともあって、(石見犬が)減ったんだと思いますよ」。今の猟犬たちは、裏庭の小屋で飼っている。冬の許可された時期にだけ、害獣駆除として主にイノシシを獲っているという。
語り継ぎたい柴犬の歴史
平成最後の年に訪れた石号の里には、まだ日本の原風景が残っていた。同時に、フランスから来たビション・フリーゼの福丸をはじめ、新しい時代を象徴する風物にも出会った。石州犬は、大変強靭で、病気知らずだったという。その血脈は、今の柴にも受け継がれている。筆者は「動物病院に連れて行ったことがない」という柴犬の飼い主によく出会う。
柴が頑健なのは、日本の気候風土に合っているからであろう。ビション・フリーゼと同じフランス原産の我が家のフレンチ・ブルドッグは、日本の暑い夏にはからきし弱く、かといって信州の厳しい冬への適応にも苦労している。石見地方の山間地は、夏は暑く、はっきりとした春と秋があって、冬には雪が降る。そんな、日本の気候を凝縮したような風土で育った石州犬の血を引く現代の柴が、日本を代表する犬種として親しまれているのは、ある意味当然のことではないだろうか。
益田を後にした筆者は、石見の海と古い町並みも見てみたいと、日本海に面した鎌手海岸と、小京都・津和野にも足を伸ばした。主に山で猟犬として使われていた石州犬と、海と町とは、直接的な結びつきはないかもしれない。ともあれ、どこへ行っても同じような都市風景が広がりがちな現代の日本列島にあって、石見地方は独特かつ日本人の心に共通して響く原風景が残る、貴重な土地だということを強く実感した。石州瓦の朱色、濃紺の日本海、そして、人の営みの痕跡が心地よく染みつき、みずみずしい空気に満ちた里山の風景。そこに伝わる「柴犬の祖犬・石の物語」もまた、次世代に語り継がれていくべき古き良き日本の遺産だ。
------------------------------------------- ■内村コースケ(うちむら・こうすけ) 1970年生まれ。子供時代をビルマ(現ミャンマー)、カナダ、イギリスで過ごし、早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞(東京新聞)で記者とカメラマンをそれぞれ経験。フリーに転身後、愛犬と共に東京から八ヶ岳山麓に移住。「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、「犬」「田舎暮らし」「帰国子女」などをテーマに活動中