<ふれる。>脚本・岡田麿里インタビュー 本音を出しづらいSNS時代 本当の友達とは? 長井龍雪監督、田中将賀と3人だから描けるもの
タイトルにもなっている“ふれる”には、「本音に触れる」「お互いの心に触れる」といった意味合いが含まれているという。岡田さんの中には、不思議な生き物“ふれる”にも特別な思いがあった。
「長井監督は『あくまで3人の話である』と話していて、では“ふれる”はどういう気持ちを持ってるんだろう?と。ハリネズミみたいなルックスが出来上がった時に、トゲがあって“触れられない子”なのだと。誰かをつなげたいと思っているのに、自分はつながれない。でも、誰かがつながることで、自分自身がこの人たちに必要だと思われるという。脚本を描く上では、“ふれる”の思いもしっかりと意識していきたいと思いました」
“ふれる”は、触れてみたいけど、触れると痛みが伴うこともある“本音”を具現化したような存在にも思えてくる。
「本音を見せるということは、友達関係においては『ここまで言っても大丈夫なら親友ってことだよな』『カードをここまで見せてくれているなら嫌われてはいない』というような、安心材料でもあるというか。今回は正統派な友情物語というよりは、お互いを探って疲弊していく部分をもちあわせた、現代の友情なのかなとも感じています」
◇青春物語、現代劇を求め続けられる 3人の冒険
青春3部作を経て作られた「ふれる。」。岡田さんは、長井監督、田中さんとの「3人だからこそ作れた物語」だと、改めて実感しているという。
「私たちの座組みは青春物語であること、現代劇であることを企画段階から求められるんですよね。以前は、この3人でも違う題材に挑戦したいという欲求がありました。でも最近は、そこに面白さを感じるようになってきたんです。それこそ『あの花』は、最初に企画を出した時、絶対通らないと思っていました。オリジナル作品としては引っかかりが弱くて、地味だともいわれましたし。でも、私たちはそれを求められている。他では通らないような話をやらせてもらえるのは、逆にすごく挑戦的なことなんだと」