<ふれる。>脚本・岡田麿里インタビュー 本音を出しづらいSNS時代 本当の友達とは? 長井龍雪監督、田中将賀と3人だから描けるもの
「SNSで、人を傷つける言葉を取り除いてくれるサービスがあると聞いて、それは面白いなと思ったんです。『本音で接したい』『自分を理解してほしい』という欲求は、多くの人が持っていると思うんです。思ったことを調整して相手に伝えることは、人間関係にとって必要とわかっているからこそ、本音に憧れるというか。だからこそ匿名性のあるところは、自分をわかってほしい人の気持ちが溢れて過剰になってくる。本音の表現の仕方が、すごく難しい時代なんだろうなと」
秋たちは、本音が“抜かれている”ことに気づいていないが、本音で接し合っていると思っている。だからこそ友情が生まれたと感じているが、岡田さんは「錯覚というか、現実から多少目をそらさないと、友達でいられない。やはり本音で接するのは難しいのではないか。ただ、本当にそうなのかな?」と考え続けた。
「だからこそ“ふれていく”作業というか。何かを否定するようなお話にはしたくないなと思ったんです。『ふれる。』では、“ふれる”がいることで起こっていることについて、『そんなの本当の友達じゃない』というキャラクターもいれば、『それでいいじゃないか』という主人公らしくない主人公がいる。そうしたコミュニケーションへの考え方、それぞれの思いみたいなものを、アニメーションで見せられないかなと考えました」
◇SNS時代の友情物語
ストーリーが進むにつれ、秋ら3人は互いの心の声が聞こえない状態から、“ふれる”のブロック機能も解除された、全てが筒抜けの状態になる。本当の意味での本音を知ってしまった時、友情はどうなってしまうのか? そうした問いかけも「ふれる。」には込められているように感じた。
「まだ脚本が書き終わる前、『こういう話にします』と提出した時に、『じゃあラストはどうするんだ?』という議論がやはり起こりました。3人は友達じゃなくなるとか、3人は一緒のままとか、いろいろな意見が出たんです。そうなってきた時に『とりあえず書いてみたい』と。彼らが動くままに書いてみて、この子たちはどうなるんだろう?と、納得度を見てみたいと思いました」