愛子さまお誕生時の「上皇ご夫妻の歌」が愛情深すぎる…!知られざる胸の内を「歌」から辿る
「おばあちゃん」としての皇后さま
平成14年の誕生日の、皇室記者への文書回答で、皇后さまは「数年前から、時々『妹が欲しい』といっていた秋篠宮家の次女の佳子が、敬宮と一緒になりますと、今まで姉の眞子が自分にしてくれていたのと同じように、優しく敬宮の相手をしている様子も可愛く思います」と答えられている。ここにはまた、歳の違う孫たちのそれぞれの所作に目を細めている、見事に普通の「おばあちゃん」がいる。 本書の第一章4「新たな家族像」で、私は平成の天皇の大切な足跡として、昭和、平成の時代を通じて「皇太子ご一家」「天皇ご一家」というファミリー像が国民のあいだに浸透し、自分たちと変わることのない家庭がそこにもあるのだと実感できるようになったことをあげている。子育てにおいて〈普通〉を目ざされた両陛下であったが、孫たちとの関わりにおいてもまた、どの家庭にも見られる微笑【ほほえ】ましさとしてそれがあらわれてくることが、天皇家への親密な思いを自然に醸し出すことになるのであろう。 いとしくも母となる身の籠【こも】れるを初凩【はつこがらし】のゆふべは思ふ 皇后(平成13年) 初【うひ】にして身ごもるごとき面輪【おもわ】にて胎動【たいどう】を云ふ月の窓辺【まどべ】 に 皇后(平成18年) 一首目は愛子さま誕生直前の雅子さまを、二首目は悠仁【ひさひと】さま誕生直前の紀子さまを詠まれたものである。初めての出産を不安にも思いつつ、ひっそりと籠【こ】もるように居るのであろう雅子妃、三度目ながら何故【なぜ】か初めてのような気がするといった面持ちの紀子妃、いずれも世間で言えば嫁姑【よめしゅうとめ】という関係ではあろうが、出産を間近に控えた存在への、心配りが懇ろな歌である。皇子【みこ】の妃【きさき】の出産を案じつつ、心待ちにするといった歌が詠まれたことは、これまでの皇室の長い歴史のなかでもほとんどないことであったに違いない。
沖縄戦への思い
弾を避けあだんの陰にかくれしとふ戦【いくさ】の日々思ひ島の道行く 平成24(2012)年 天皇 毎年恒例となっている天皇皇后両陛下の地方行幸啓【ぎょうこうけい】として、全国植樹祭、国民体育大会、そして全国豊かな海づくり大会の三つがあるが、このうち海づくり大会は皇太子時代から関わっておられ、即位後、新たな天皇の公務として定着したものである。これら三つの大会への思いを毎回歌として発表されている。 ちゆら海よ願て糸満の海にみーばいとたまん小魚放ち 【チュラウミユニガティイチュマンヌウミニミーバイトゥタマンクイユハナチ】 天皇(平成24年) 平成24年の第32回全国豊かな海づくり大会では、場所が沖縄県糸満市であったことから琉歌【りゅうか】をお詠みになった。美しい海になることを願って、糸満の海にみーばい(ヤイトハタ)と、たまん(ハマフエフキ)を放ったよ、という意味になろうか。陛下は長く、八・八・八・六の音からなる琉歌を作り続けておられるが、沖縄古来の歌である琉歌を、沖縄の人々にも、そして全国の人々にも知ってほしい、大切にしてほしいという願いからであろう。 この沖縄訪問は皇太子時代から数えて九度目、即位後四度目のものであり、その訪問の多さは、沖縄への強い思いを抜きにしては考えられない。 同年の誕生日記者会見では「万座毛という所は、歴史的にも琉歌で歌われたりしていまして、そこを訪問できたことは印象に残ることでした」とも述べられ、また、 万座毛【まんざもう】に昔をしのび巡り行けば彼方【あがた】恩納【おんな】岳さやに立ちたり 天皇(平成二十五年) なる一首を、翌年の歌会始でも詠まれている。この「昔をしのび」には、記者会見でも述べられたように、琉歌にも詠【うた】われている昔を偲【しの】ぶの意も含まれていよう。 万座毛は万人が座れるほどの広い草原との意で、琉球王朝の尚敬【しょうけい】王が名づけたという。王が沖縄本島の恩納【おんな】村を訪れたとき、当時の女流歌人、恩納なべが詠んだ 波の超えもとまれ 風の声もとまれ 首里天加那志 美御機拝ま 【ナミヌクィントゥマリ カジヌクィントゥマリ スイティンガナシ ミウンチウガマ】 という琉歌があり、歌碑(表記が少し異なる)としても残されている。「波の声も止まれ、風の声も止まれ、いま私が首里【しゅり】の王のご機嫌を伺うから」というほどの意味。 冒頭の御製【ぎょせい】は苛烈であった沖縄戦の悲劇を思いつつ、島の道を辿【たど】るときの思いが詠われているが、「弾を避けあだんの陰にかくれしとふ」が歌のポイントである。あだんはパイナップルに似た実をつける木で海岸縁に生える。その木伝いに逃げまどう人々の苦難と恐怖は、後の世の人々が思い出してこそ、歴史としての意味があるのである。 この年の誕生日の記者会見でも沖縄をどうとらえるべきかについてお考えを述べておられる。少し長くなるが、陛下のお考えがもっとも集約されている一節でもあるので、その部分を引用しておこう。 日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています。 私は個人的には、右のお言葉のなかで「日本全体の人が、皆で沖縄の人々の<苦労をしている面>を考えていくということが大事」(強調筆者)という部分が、現在形で語られていることにまず注目をしておきたいと思っている。沖縄の人々が現在も抱えている困難にその視線が届いていると感じるのは私だけだろうか。 さらに、「段々時がたつと忘れられていくということが心配」と「これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合う」べきだとの部分に陛下の思いの核があるだろう。私たちもいま一度そんな思いを共有しておきたいものである。