愛子さまお誕生時の「上皇ご夫妻の歌」が愛情深すぎる…!知られざる胸の内を「歌」から辿る
床に膝をついてお話をされた天皇陛下
天皇が災害がまだ収束もしていない被災地に直接出向くなどということは、これまでの天皇制の歴史の上で、かつてないことである。特に、島原市の体育館に避難している人々の前に現れた天皇陛下の姿は、誰の目にも深く焼きつけられることになった。それまで着けていた背広の上着とネクタイをはずし、白いワイシャツを腕まくりして被災者の前に現れたのである。無用な緊張感を与えないための配慮である。 天皇がこんなラフな姿で国民の前に現れることは初めてであったが、何より人々の、あるいはテレビの視聴者の目をくぎ付けにしたのは、被災者の座っている前に膝をついて話をする両陛下の姿であった。被災者のほうは畳の上に座っているのに、両陛下が床に直接膝をついて話すのである。 皇后さまは小学校の一年生とにこやかに話をされた。両陛下の退席の際には、その子が「バイバイ」と大きな声で無邪気に手を振ったのに、思わず皇后さまが振り返ってにっこりされたことで、体育館内にはなごやかな笑いが広がった。 この被災地訪問は、何より新しい天皇のイメージを決定づけるだけの大きなインパクトを持ったと言えよう。天皇が現地へ赴き、被災者と同じ目線で話す。大切なことは、一方的な激励ではなく、被災者ひとりひとりの声に耳を傾け、その境遇に寄り添うように声をかけられたことである。 このスタイルはこれ以降も両陛下によって一貫して続けられることになるが、その原点は、くしくも平成という時代の初っぱなにあったのである。 私は本書で、平成の天皇皇后両陛下の歌を中心に、平成という時代はどういう時代であったのかを振り返ろうとしている。なかでも多くの災害における被災者へのお見舞いは、天皇陛下が〈象徴〉という自らの立場をどのように実践していくかという、まことに困難な試行錯誤の大切なピースの一つであった。この問題についてはこれからも何度も立ち戻ることになるだろう。
愛子さま誕生を祝して…
年まさる二人の孫がみどり児に寄りそひ見入る仕草愛らし 平成14(2002)年 天皇 平成十四年の歌会始のお題は「春」であった。そこに皇太子妃雅子さまは次の一首を詠進された。 生【あ】れいでしみどり児のいのちかがやきて君と迎ふる春すがすがし 皇太子夫妻に長女敬宮愛子(としのみやあいこ)こさまが誕生したのは、前年の平成13年12月1日。産後の養生などを考えると、翌年の歌会始に詠進するにはぎりぎりのタイミングだと思われるが、初めて子を得た喜びは何にも増して詠【うた】いたい対象であったことだろう。 生まれたばかりのかがやくいのちは、それ自体大きな喜びではあろうが、それを「君と迎ふる」ことができる、共に喜んでくれる「君」という存在が傍らにいるということが、喜びをさらに大切なものにしてくれると、この一首はさりげなく詠ってもいる。 その喜びの共有は、伴侶だけではなく、天皇皇后両陛下においても同じである。掲出の一首は、秋篠宮家の二人の内親王、眞子【まこ】さま、佳子【かこ】さまが生まれたばかりの愛子さまを眩【まぶ】しそうに見ている景だ。ちょっと頬を突っついたりしたのかもしれない。二人の孫と今また新しいいのちを得た三人目の孫、それらが自分と同じ場に居てくれるという、その単純が「おじいちゃん」を喜ばせるのである。 天皇という立場上、陛下にはいわゆる「晴【はれ】」の歌が多いが、時おりふと漏れたかのような、こんな「褻【け】」の歌を目にすることで、私たちは天皇家というものを、より身近な存在として感じることができる。歌の効用の一つでもあろう。