圧倒的だった“2012年の阿部慎之助”。3割4分、27本塁打、104打点…背景には恩師からの一言が
10月22日、オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの橋上秀樹監督の退任が発表された。来季からは巨人の一軍コーチに就任するとの報道もあり、実現すれば旧知の存在である阿部慎之助監督の右腕として豊富な経験を活かすことになる。 ご存じの通り、現役時代は“打てる捕手”としてならした阿部監督だが、2012年に首位打者と打点王を獲得するまで無冠が続いていた。誰もが認める才能を持ちつつ、なぜ打撃タイトルが獲れないのかーーそんな疑問を持っていた橋上氏が、巨人のコーチ時代に直接指導した際のエピソードを『だから、野球は難しい』(小社刊)から紹介する。 ※本記事は同書より抜粋し、適宜編集を加えたものである
阿部慎之助は、高い技術がありながら打撃タイトルに縁がなかった
現在、巨人の監督を務める阿部慎之助。打撃については、もともと素晴らしい能力を持っていた。しかし、私が楽天に在籍していたときに、巨人との試合前の打撃練習を見て、「どうしてこれだけの技術を備えた選手が、打率は3割前後、ホームランも突出した数字が出ないのか」という疑問のほうが大きかった。 彼は私の母校(安田学園)の後輩である。プロ野球選手を輩出している例が少ない学校のなか、私と同じ出身校であることは早い段階から知っていた。試合前になると必ずあいさつに来てくれていたし、試合が始まってからも、打席に入る前に私の顔を見て一礼してくれることもしばしばだった。 その姿を隣で見ていた野村克也さんから、「アイツ、お前さんを見てあいさつしたな。どうしてなんだ?」と聞かれることもあった。それだけに、私が縁あって巨人に行くことになった際には、阿部の打撃をあらためてチェックするとともに、「なぜ打撃タイトルを獲るような成績が残せないのか」を知りたかった。
自身の限界を決めつけてしまっていた?
阿部の打撃練習を間近で見たとき、やはりハイレベルな技術があるということは確認できた。2012年当時の巨人の打撃陣のなかでも、トップクラスにあることは間違いなかった。そこで阿部とじっくり話をしてみると、二つのことに気がついた。一つは、「自分の能力を過小評価」していること、もう一つは、「捕手でこれだけ打っているからいいだろう」と限界を決めつけてしまっていたことだった。 阿部の打撃力は原辰徳監督も認めていた。事実、監督に就任した2002年には33試合、彼を「3番・キャッチャー」で起用していた。当時の巨人には松井秀喜を中心に、高橋由伸、清原和博、江藤智、二岡智宏、清水隆行、仁志敏久ら、そうそうたるメンバーがいるなかでのクリーンナップに起用していたことは、阿部の打撃力に高い評価をしていた証しでもある。それにもかかわらず、入団してから11年間、打撃タイトルは何ひとつとっていなかった。 2007年から09年まで巨人がセ・リーグ3連覇を果たしたときのこと。アレックス・ラミレス、小笠原道大を中心に打線が機能していたなか、阿部は6番か7番を打つことが多く、打撃タイトルはラミレス(2008年打点王、09年首位打者)が獲得していた。そうであるからこそ、心のどこかで「自分が打たなくても、チームの誰かが打ってくれればそれでいい」と考えていたフシがある。 野球はチームスポーツだ。たしかに試合に出場している1人がどんなに頑張ったところで、ほかの人がまったく機能しなければ、得点は奪えないし、そうなると負ける確率が高くなってしまう。そう考えると、阿部の考え方も理解できなくはない。だが、彼自身が打撃成績に対してもっと貪欲になれば、今以上の成績を収めることなどたやすいことだと私は見ていた。