圧倒的だった“2012年の阿部慎之助”。3割4分、27本塁打、104打点…背景には恩師からの一言が
「1年だけ、真剣に野球に取り組んでくれないか?」という言葉をかけた
もう一つの、「捕手でこれだけ打っているからいいだろう」と自ら決めつけてしまっていたことも、阿部のプレースタイルから顕著に見てとれた。たしかに捕手として彼の打撃成績を見れば素晴らしい数字であることは間違いない。だが、「上には上がいる」とさらなる高みを目指して野球に取り組めば、間違いなく当時の打撃成績で終わるような選手ではない。それもまた事実だった。 私は阿部にこんな提案をした。 「1年だけでいい。一生懸命、真剣に野球に取り組んでくれないか?」 阿部の試合での打席の様子を映像で確認したとき、集中しているときとそうでないときの差が激しいのではないかと感じていた。打撃タイトルを獲る選手というのは、一打席一打席を大切にしているものだ。裏を返せば、打っても打てなくても、集中力を欠かすことなく維持し続けている。 3割を打つ打者は100打数で30本の安打を打つ。2割9分の打者は、100打数で29本の安打となるわけだが、このわずか1本の差が3割打者になれるかどうかの分岐点となる。阿部は余力を残して3割近くを打っているのだから、シーズン通して集中力を持続すれば、とんでもない成績を残せるのじゃないかと思ったわけだ。 結果からいえば、阿部はこのシーズンは3割4分近くを打って首位打者のタイトルを獲得しただけでなく、104打点を挙げて打点王との2冠に輝いた。 打率を月別に見ていくと、3~4月が3割2分5厘、5月が3割1分6厘、6月が3割3分8厘、7月が3割1分8厘、8月が2割9分8厘、9月が4割4分7厘、10月が3割ちょうどと、まったくばらつきがなかった。それどころか、優勝争いも佳境に入った9月の打率が滅法よかった。つまり、「シーズンを通して集中すれば、成績の残せる打者である」ことが証明されたのである。
選手寿命を延ばした「一塁手としての起用」
さらに、この年は捕手のほかに一塁手としての起用もあった。当時の彼は、バリバリ捕手でやれるだけの体力はあったが、たまに一塁手を守らせることで精神的な負担が軽減されるのではないかと思い、原監督に進言してみた。すると原監督も了承してくれて、「一塁手・阿部」として出場する機会をつくったというわけだ。 実際、これは効果があった。阿部自身、「いつもと違う光景で野球をやることで、新鮮さが生まれた」と言っていたし、後年、彼が首の故障で思うように捕手ができなくなってからは、ファーストで出場する機会が生まれた。DH制のないセ・リーグの場合、守るところがなければ代打の切り札に収まる以外にない。 それだけに、捕手以外のポジションを守る機会を設けたことが、現役としての寿命を延ばす一因になったに違いない。 <TEXT/橋上秀樹> ―[だから、野球は難しい]― 【橋上秀樹】 1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。
日刊SPA!