桐島かれん「母・桐島洋子が教えてくれたにぎやかに食卓を囲む喜び。4人の子が巣立った今も食事は私の人生の大切な軸」
◆料理や味の記憶が「食」の基礎に と、こうして偉そうに話していますが、私は結婚するまでお米のとぎ方も知らないほど料理ができませんでした。モデルをしながら一人暮らしをしていた頃は、食事はほとんどお弁当か外食。疲れて帰った日は、ポテトチップスを夕食にするようなひどい食生活だったのです。 母から料理を教わったことはありません。シングルマザーとして私と妹のノエル、弟のローリー(ローランドさんの愛称)の3人を育てながら仕事をしていて、とにかく多忙でしたから。食事を作るのはだいたいお手伝いさんで、時々人が入れ替わると「お味噌汁の味が変わったな」と思った覚えがあります。 母が忙しかった頃は、近くに住む祖父母の家にもよく預けられました。母方の祖父は戦前に上海で新聞社を経営していた人で、引退後はワインやスパイスの専門書を手がけるほどのグルメ。江戸っ子でもあったので、かつお節を削り、海苔は必ず食べる前に炭火であぶっていました。 祖父に言われてお手伝いするのが嬉しかったですし、そうしてひと手間かけると素材の香りや美味しさがいっそう引き立つことも教わった気がします。 祖母も、そんな祖父のためにフランス料理のフルコースを用意できるほどの腕前。祖母の作ってくれたコロッケは、今も忘れることができません。そんな家に生まれた母ですから、食への好奇心が強く、大変な食いしん坊。味つけのセンスが抜群で、たまに作ってくれる料理は本当に美味しかった。 でもそれは、いわゆる普通の家庭料理ではなく、ブイヤベースやチーズフォンデュ、ポトフ、タコスなど外国暮らしで覚えた独特の料理ばかりでした。直接作り方は教わっていないものの、母が作る料理や味の記憶は残っていて、それが私の「食」の基礎になっているんじゃないでしょうか。
◆母の台所はいつもオープンだった 昨年公表したように、母は14年頃からアルツハイマー型認知症が徐々に進行し、現在は横浜のマンションで住み込みのヘルパーさんと暮らしています。 認知症が進むと食事を拒否するケースがあると聞きますが、食べることが大好きな母に限って、その心配はまだいらないようです。よく食べるし、ちゃんと出すこともできる。今年86歳ですが、おかげさまで体調はすこぶる良好です。 ただ、外国の料理ばかり好んで食べていた母も、最近は和食など味つけがあっさりしたものを食べるようになりました。私は50歳を過ぎて体が和食を求めるようになったのに、母は80代でようやく(笑)。そのほうが体にはいいので、娘としては少し安心しています。 時々、ローリーと母の3人で食事へ出かけることも。母は最近のことは忘れがちですが、昔のことはよく覚えている。だから、家族で何度も行ったレストランで定番のメニューを囲むんです。「あの時、あんなことがあったね」なんて思い出話をすると、母も嬉しそう。 未来の話をするのもいいみたい。母は旅が好きだから、会いに行くと必ず「今度はどこへ行く?」と聞いてきます。きっと、本人が行くのはもう難しいでしょう。 でも、「大好きなマティスのコレクションがあるエルミタージュ美術館は行かなくちゃね」なんて話をすると、顔がパッと明るくなるんです。 そして必ず、「その街にはどんな美味しいレストランがあるかしら」(笑)。食への意欲は、母の生きる気力としっかり結びついているようですね。