【NBA Rakuten解説者インタビュー】宮田知己さん「塁さんはNBAの顔を目指せる1人」
ゴンザガ大学への留学後、龍谷大学でヘッドコーチを務め、国際大会等でテクニカルスタッフやコーチとして活躍されている宮田知己さんが、2月10日(土)に「NBA Rakuten」で配信したニューオーリンズ・ペリカンズ対ロサンゼルス・レイカーズ戦で解説を務めた。初解説の感想やこれまでの歩みなどについて聞いた。※インタビューは解説後に実施。 【映像】NBAハイライト番組『WEEKLY NBA』!
日本代表のヘッドコーチを目指して
――本日はお疲れ様でした。今回解説をされてみていかがでしたか? 宮田:解説に緊張というより、NBAの解説に緊張したという感じでした。NBA選手やコーチ、スタッフの方々はもちろんリスペクトしていますが、それ同等にファンの方々もリスペクトしています。自分よりも長くNBAを観ている方も多くいらっしゃいますから。なので僕にしかできない解説をしないといけないと思いました。それができたかはいったん置いておいて(笑)、今回はそういう意識でしたね。 ――具体的にはどういった部分でしょうか? 宮田:アナリストの目線を持ったコーチとしての視点です。国際大会では主に戦術分析を担当するテクニカルスタッフという立場で携わっていますが、その先のビジョンとしてヘッドコーチを目指しています。もちろんアナリストと言う仕事にリスペクトを持って、最大限の力を注いでいます。ただ今回の解説では、コーチの目線も持った上で動きなどを伝えられたらと思っていました。 ――国際大会では具体的にどのような活動をされているのでしょうか? 宮田:ポセッションごとにブレイクダウンして分析したり、個人にフォーカスした分析だったりと多岐にわたります。そうして分析したものをコーチングスタッフに提案していますね。あとは練習のビデオ撮影や大会の映像の手配なんかもします。
高校卒業後に留学することは決めていた
――日本代表のヘッドコーチを目指されている宮田さんですが、最初にコーチになりたいと思ったのはいつですか? 宮田:小学4年生の頃です。最初は先生になってバスケ部を担当したいというものでしたが、その夢が徐々に大きくなっていきました。高校卒業の頃には日本代表のコーチになりたいと思っていました。 ――小学4年生でコーチを目指すというのは珍しいです。 宮田:小学4年生の頃に学外のスクールでバスケを始めたんです。そこにいた2人のコーチがカッコいいと思ったんですよね。当時から誰かに何かを教えることが好きだったというのもあって、それからコーチになるという夢がどんどん磨かれていった感じです。 ――中継ではゴンザガ大学への留学についても話されていましたが、改めて詳しく教えてください。 宮田:高校卒業後に留学することは決めていました。日本代表のコーチになるには英語力も必要だと感じていたからです。日本に帰化する選手が増えるだろうし、そうした選手と通訳を介してしまうと自分の言葉のニュアンスが伝わらないなと。2年生からの留学を推奨していた京都の龍谷大学に進学したんですけど、1年生の頃はめちゃくちゃ英語を勉強しました。 ――ゴンザガ大学を選んだ理由は? 宮田:バスケのコーチングが学べる環境を重視しました。調べていく中でゴンザガ大学が自分に合うと思ったので手続きを進めていたのですが、その過程でゴンザガ大学の留学関係者から八村塁選手もいるということを教わりました。