7ヵ月間ホームレスに…世界一のパティシエが語る「成功の秘訣」
スイーツの世界大会で優勝した若く才能のあるパティシエが、かつてはホームレスだった時期もあると言って、誰が信じるだろう。しかしこれは本当の話である。 【写真】インスタのフォロワー数151万超を誇るセクシーなパティシエ 3月29日に公開される『パリ・ブレスト ~夢をかなえたスイーツ~』は世界で最も注目されているパティシエのひとり、ヤジッド・イシュムラエン氏の自伝映画だ。ヤジッドさんは22歳でパティスリーの世界選手権のひとつ、ジェラート世界選手権のチャンピオンに輝いた。現在は世界各地の最高級ホテルのコンサルタントやヴィトンやバルマンなどハイブランドとのコラボレーションを務めながら、南仏アヴィニョンに自身の店舗をもち、パリにも店舗をオープン予定のヤジッドさん自身も非常にスタイリッシュかつアーティスティックで、Instagramで151万人ものフォロワーを誇る。 まさに順風満帆の人生に見えるが、映画で描かれるのは、ヤジッドさんの壮絶な人生だ。フランス生まれのモロッコ移民2世で、アルコール依存症の母に育児放棄され、父親を知らない。6歳の頃から里親や児童養護施設のもとで育ったヤジッドさんは、14歳からパティシエ見習いとなるものの、一時はホームレスになるほどの貧困に陥ったこともあるのだ。 映画の公開に先駆けて来日したヤジッドさんへのインタビュー前編「母の虐待、児童養護施設でのいじめから世界一のパティシエになるまで」では、ヤジッドさんと母親の関係や児童養護施設での体験について聞いた。 児童養護施設では、職業訓練をしたのち、ある程度一定の職を紹介される。しかしパティシエになると決めていたというヤジッドさんはインターネットで調べてかたっぱしから電話をかけ、14歳にしてパティシエの見習いになることができたのだという。 インタビュー後編では、さらにそこから成功した秘訣を聞いた。
見習いになった3年間、ちゃんとしたお菓子が作れなかった
――14歳で念願のパティシエになるために自らの行動で見習いになります。ヤジッドさんが初めて作ったのはどんなスイーツだったのですか? ヤジッド・イシュムラエン(以下、ヤジッド):修行を始めてまともなお菓子が作れたのは、17歳のときでした。カラフルで見かけだけは立派なお菓子でした。味もそんなに美味しくなかったと思います。 ――ちょっと待ってください。14歳で見習いを始めて17歳になるまで、3年間もお菓子を作れなかったのですか? ヤジッド:はい。3年間の修行の間は雑用でも何でもしましたよ。私たちは、他人のサクセスストーリーのきらきらしたところだけに目が行きがちですが、成功の陰には大きな苦労があります。実際、私も修行中は「これは割に合わないな」と何度も思いました。でも、職人に限らず、どんな道でも成功するためには、やりたくないことをしたり、訓練をしたりなどの修行の期間が必要だと思うんです。 私も自分が作りたいお菓子を作るために、作りたくないお菓子もたくさん作って来ました。苦労をしないで美しいものを作り上げることは不可能なんですよね。成功には苦難がつきまとう……それを若い世代に知ってほしいです。