【平成の名力士列伝:琴奨菊】大胸筋断裂の大ケガを境に相撲を一新、3横綱撃破で初優勝を遂げた苦労人大関
【『鷹の選択』で新たな相撲道に踏み出す】 のちにこの低迷期について「ケガをしているのに、いい時の感覚のままやっていた。そこに自信があり過ぎたからね。あのときはしっかり向き合っていなかった」と現状の自分を受け入れることをどこかで避けていたことを明かした。 手負いの身であるのに感覚は好調時のままだったため、そのギャップが不振を招いていた。なかなかスランプから抜け出せないでいると、ある人から聞いた話が心に響いた。 『鷹の選択』と題する話によると、70年生きると言われる鷹は40歳を過ぎると、くちばしが長く曲がり、爪も弱くなって獲物を捕まえることができず、羽も厚みを増し、高く飛べなくなる。そこで鷹はふたつの選択を迫られる。このまま穏やかに最期を迎えるのか、あるいは変化を求めて新たな自分に生まれ変わるのか。 後者を選択した鷹はくちばしを岩で叩き割る。すると新しいくちばしが生えてくる。その新たなくちばしで爪をはぎ取り、羽を抜き取る。その結果、新たな爪と羽が生えてきた鷹は生まれ変わり、自由に天空を舞いながら残りの30年の人生を全うするという。 相撲人生もベテランの域となり、大関という地位も手に入れた。致命傷を抱えながらも現状の地位は何とか維持はできたが、31歳になった大関は長年かけて培った自分の型をいったん壊し、新たな"勝ちパターン"を構築するという"いばらの道"を歩むことを選択した。 試行錯誤を繰り返していくうちに、次第に進むべき道が見えてきた。力が半減した右は抱えるのではなく、差すことによって自ずと右脇が締まるようになった。左は前廻しを狙うことで、立ち合いが低く鋭い角度で当たれるようになったのは、思わぬ"産物"だった。たとえ左の廻しが取れなくても、低い体勢ゆえに、相手に攻め込まれても対処の幅が広がった。 琴奨菊にとっての『鷹の選択』は、左四つの相撲から右四つも取り入れた取り口への"大変革"にあった。一気に相手を持っていく従来の力強い相撲こそ減ったものの、長い相撲もいとわず、我慢しながら白星に結びつけていく内容が目立つようになった。 カド番で迎えた平成26(2014)年7月場所は千秋楽まで優勝を争う活躍で12勝。劇的な復活を遂げたものの、その後もカド番を経験する苦しい相撲が続く。だが、それから1年半後の平成28(2016)年1月場所は初日から連勝街道をばく進。大きなチャンスが巡ってきた。 「自分を信じて、やるべきことをしっかりやって出しきる」 以前のように結果で一喜一憂することもなくなり、連日、判で押したようなコメントに終始。強靭なメンタルを手に入れたことも大きかった。白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱撃破を含む14勝1敗で悲願の初優勝を達成。日本出身力士としては、10年ぶりの賜杯となった。 「自分の初優勝がたまたま節目の優勝だっただけ。すごく光栄なことだと思います」 場所前は「絶対に優勝します」と公言していた。「自分はできるんだと言える根拠ができたんで」と生涯唯一の賜杯は、生まれ変わった自身の集大成でもあった。 綱には惜しくも届かず、その後は大関から陥落後も自らの可能性を模索し続けたが、令和2(2020)年11月場所、最後は十両の土俵で力尽き、"自分探し"の旅は、36歳で終焉を迎えたのだった。 【Profile】琴奨菊和弘(ことしょうぎく・かずひろ)/昭和59(1984)年1月30日生まれ、福岡県柳川市出身/本名:菊次一弘/しこ名履歴:琴菊次→琴奨菊/所属:佐渡ヶ嶽部屋/初土俵:平成14(2002)年1月場所/引退場所:平成2(2020)年11月場所/最高位:大関
荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro