川上麻衣子さんが80代・90代親の“実家じまい”。2か月間の片づけで「どうしても捨てられなかったもの」
●「なにかに特化したもの」はこの先を生き残るキーポイントに?
この「〇〇に特化した」という言葉はこれから先キーポイントになるのではないかという予感がします。ものが溢れているこの時代にあって、貴重なものがなにかを特定することはとても困難となっています。 なにかしらに特化しているものという個性があれば、もしかしたらそれを必要としてくれる人に巡り会う可能性もあるということを強く感じた出来事でした。「個性」が再びクローズアップされる世の中であって欲しいと願います。
60代以降に向けて「手放したものと残したもの」
そんな体験も踏まえて、今回私が感じた処分したものと残そうと決めたものたちを少しご紹介します。 まず書籍に関しては説明の通り、専門家の判断に任せてほとんどを引き取っていただき、それ以外の本は、処分。レコードもかなりの量を処分しました。雑誌は1970年代のレトロ感あふれるものを数冊残して処分。
●捨てる決断ができずに一時保留にしたものも
困ったのはやはり、次から次へと出てくるアルバムや、箱に入れられた未整理の写真たち。そしてそのネガフィルムやスライド写真でした。 おもしろいことに、未整理の写真たちは諦めがつきやすかったのですが、年代ごとに整理されたアルバムはどうにも処分することができませんでした。100冊は超える量のアルバムでしたから、果たして見返すことが今後あるかどうかもわかりませんが、一旦倉庫に保管することにしました。それ以外のネガフィルムや古くなりカビが生えてしまった8ミリフィルムやスライド写真は処分としました。 また古い洋服は、ほぼほぼ処分。私の部屋から出てきたデビュー曲の際の衣装や、初めての劇団の公演で父が縫ってくれた女王役の衣装は残すことにしました。
●「日記」は残す必要がない、と実感
私の部屋から出てきた厄介なものといえば書きためていた日記帳です。今となっては、自分自身でさえページをめくる勇気が持てず、赤面してしまいそうな内容もちらほらとあり ます。処分するにしても、目の前で燃やさない限り恥ずかしくてなりません。 じつは私は親友の1人に、万が一私が飛行機突然の事故かなにかで、ふいにこの世から消えてしまったときには責任を持って私の日記を処分するように託しています。 しかし今回の実家じまいをきっかけに、自らの手でまもなく訪れる60歳の行事の1つとして処分することにしようと決意をしました。 改めて日記を書くとは、なんなのかと自分に問うてみると、「日記は残したいために書く」のではなく、そのときどきの感情を吐き出して、その感情を咀嚼して、気が治ればそこで完了しているのではないかという結論に達したのです。だから時を経て読み返すことにはあまり意味もないので、60歳の行事に斜め読みにでも読破して燃やしてしまおうと考え、秘密の場所に保管としました。