「このままではクビになる」大敗続いた22歳ガールズケイリン選手が“負の連鎖”断ち切り覚醒「もう簡単には負けられない」
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。今回は、昨年11月の本デビュー後初優勝から21場所連続で決勝進出中の新鋭・渡部遥選手(22歳・愛媛=122期)にインタビュー。ルーキーシリーズで優勝した渡部選手ですが、本デビュー後は大敗が続き一時は“クビ”を意識したといいます。突如“覚醒”した契機とは…。
両親のすすめでガールズケイリンの道へ
愛媛県松山市出身の渡部遥は、小学3年生から陸上競技を始めた。走り幅跳び、三段跳びと跳躍種目を中心に活躍。中学校に進学してからも陸上に熱中し、県大会、四国大会に参加するほどだった。卒業後は松山市内の強豪・聖カタリナ学園高等学校へ進学した。 一方で、ガールズケイリンは小学生のころから知っていた。それは、競輪好きの父の影響だった。 「父は若いときから競輪ファン。小さいころからガールズケイリンの選手になればと言われていましたが、私は陸上が好きだったので…。高校2年生のとき、改めて両親から『真剣に競輪選手になることを考えてみたら』と言われました」 それを機に松山競輪場へガールズケイリンを見に行ったというが、まだ陸上競技への情熱が強く、すぐに競輪選手を目指す決断はできなかった。 しかし転機が訪れる。渡部が高校2年生の冬から新型コロナウイルスが大流行。その影響で部活動ができなくなった渡部は家にいることが多くなった。自然と将来について考える時間が増え、『競輪選手を目指してはどうか』という気持ちが膨らんだ。
自転車競技未経験から養成所入りを目指す
渡部は知り合いの伝手をたどり野村典嗣に弟子入り。野村は渡部のために、すぐに道具を準備した。練習初日にはすでにガールズケイリンで使えるカーボンフレームの競技用自転車が用意されていたという。 「最初の練習は高校3年生の6月でした。街道練習だったのですが、初めて乗る競技用自転車は本当に怖かった。ママチャリとは全然違いました。バンク練習も怖かったです」 慣れない競技用自転車に苦戦し最初はなかなかタイムが伸びなかったが、3か月もするとタイムが良くなってきたそうだ。 「師匠と養成所の試験は適性じゃなくて技能で受けようと話しました。もちろん1回で受かるつもりだったけど、ダメなら何度でもチャレンジするつもりでした」 そして迎えた日本競輪選手養成所122期の入所試験。ガムシャラに力を出し切り、ストレートで合格した。 「合格発表のときは松山競輪場にいました。そのとき師匠もプロ選手の道場にいたのですぐ挨拶に行き、これからよろしくお願いしますと伝えました。そしたら師匠も『よかったな! おめでとう!』って言ってくれてうれしかったです」