2部降格、構想外、引退危機…欧州で味わった壮絶苦悩 元日本代表2人が再会で交わした言葉【コラム】
お互いにブンデスで苦労、2部時代に1度だけ共闘
1991年生まれの原口と92年生まれの宮市はどちらも10年にわたって欧州でプレー。紆余曲折を味わってきた。が、2人が同じリーグで対戦したのは、19-20シーズンのブンデス2部時代だけだ。 当時、原口はハノーファーで背番号10を背負っていたが、2018-19シーズンにブンデス1部から2部降格を余儀なくされ、チームをいかにして引き上げるかという難題にもがき苦しんでいた。だが、彼が苦悩したのはこの時だけではない。 ヘルタ・ベルリン時代はあらゆるポジションで便利屋のように使われ、ハノーファーでは1部昇格請負人になれず、ウニオン・ベルリン時代はボールが頭の上を越えていくスタイルにジレンマを覚えた。そこから脱出すべく2023年2月に赴いたシュツットガルトでは指揮官交代によって事実上の構想外のような扱いを受けた。その苦しみは常人の想像をはるかに超えたものがあったのだ。 宮市の方も2015-16シーズンから6シーズン、ザンクトパウリに在籍したが、相次ぐ怪我に見舞われ、そのたびに引退危機に直面した。それを懸命の努力で乗り越え、同シーズンはコンスタントにピッチに立っていたが、チームが下位に低迷。結局、1度もブンデス1部のプッチに立つことができなかった。 異国で壮絶な時間を過ごした者同士であるがゆえに、2人には目に見えない絆のようなものがあるのだろう。 「元気君と対戦するのはドイツ以来。キャリアはもう雲泥の差くらい、彼はすごいキャリアを持っていますし、そういう選手がJリーグに帰ってきて活躍することでリーグも盛り上がる。彼に関しては原口元気として見られる分、よりプレッシャーもかかるし、大変さはあると思いますけど、もともと素晴らしい選手なんで、時間が解決すると思う。ホントに楽しみにしています」と宮市も試合後、ミックスゾーンで原口と会話した後、嬉しそうにこう語っていた。 宮市が「時間が解決する」という重要なキーワードを口にしたが、欧州から戻ってきた選手はトップフォームを取り戻すまでに足踏みする傾向が強い。日本と欧州のスタイルの相違に加え、ピッチ状態など環境面の違いにも直面するからだ。加えて、宮市が指摘した通りの過度の期待もある。元代表クラスの出戻組の多くがそこに苦しむことになるわけだが、それは宮市と原口も直面していること。お互いに共感できる部分は少なくないはずだ。 原口には怪我を乗り越え、短時間でもスピードと突破力というストロングを出すことに徹している宮市の姿を参考にしてほしい。今はスタメンで出らない悔しさもあるだろうが、途中からでも攻撃に変化をつけたり、決定機を演出するなど、できることはあるはず。 それと同時にフィジカル面をブラッシュアップすることも重要だ。本人も認めているように、ウイングとしてやっていくなら、タテのアップダウンを繰り返せるだけの走力とタフさが必要不可欠。それが難しくなるから、30代のアタッカーは中寄りのポジションに移動していくケースが多いのだ。かつての松井大輔(Fリーグ理事長)や乾貴士(清水)もそうだった。 こうした逆風を跳ねのけることができるのか……。それは本人とチーム次第だ。今の浦和はまずJ1残留を決めることが最優先。原口はそのために、限られた時間の中で目に見える結果を残すことに集中すべきだ。宮市との再会をいいきっかけにしてほしいものである。 [著者プロフィール] 元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
元川悦子 / Etsuko Motokawa