「まだ終わっていない」60年目の水俣病 被害申請の診断書も書いてもらえず
「公害の原点」として、今年5月で公式確認から60年を迎えた水俣病。だが、今も全国各地で多くの人が被害を訴え、補償救済を求めて声を上げ続けている。そうした中、水俣病患者の現状報告会「水俣病事件――公式発覚から60年のいま、考える」(主催・最首塾)が9日夜、東京・文京区内で開かれ、2人の講師は「大勢の人たちが今も診断書すら書いてもらえない状態で苦しんでいる」「水俣病は一人ひとりに突き付けられた問題」と訴えた。大学生から年配の支援者まで115人が参加し、20人以上の立ち見も出るほど。首都圏での関心の高さを示した。(フリー記者・本間誠也) 【図解】水俣病の患者認定基準は現在どうなっているのか?
◇ 熊本県などによると、これまで水俣病による死者は1850人以上。認定患者は約2300人で、未認定の被害者は7万人以上とされる。認定申請は今も相次ぎ、損害賠償訴訟も続いている。 講演したのは熊本県相良村在住の開業医で、40年以上にわたって水俣病を調査し患者を診察し続けている緒方俊一郎氏と、患者支援や水俣病事件を伝える活動に取り組む一般財団法人「水俣病センター相思社」(水俣市)の永野三智(みち)氏。
国、行政の意向に委縮する医師たち
「関東在住の水俣病患者検診の報告」をテーマにした緒方医師はまず、2012年7月までの約2年間で「救済申請」が終わった水俣病救済特別措置法(特措法)施行時のことについて話した。特措法は、水俣病問題の最終解決を目的に制定された法律で、未認定患者に一時金や療養手当を支給するといった内容。この申請には水俣病患者であるという診断書が必要で、水俣市から車で一時間半もの中山間地に位置する緒方氏の医院には相思社から紹介を受け、北海道から沖縄まで500人以上の水俣地方出身の患者たちが訪れたという。
「いずれも知覚障害をはじめとする水俣病特有の症状に苦しむ人たちでした。あの時代(1950~60年代)、水俣周辺で暮らした人は、高濃度に汚染された魚介類を多食していた人がほとんどです。あのときの診察によって現実にはまだ多くの人たちが救済されずに悩んでいるんだということが分かり、本州などでは水俣病と診断してくれる医師がほとんどいないことにも気づかされました」 そう振り返る緒方医師は、特措法を知らなかったなどの理由から救済されないままの本州の患者らのため、昨年から相思社とともに東京で年に数日、健康被害に悩む水俣出身者の診察を手掛けている。昨年は40代後半から70 代前半までの男女8人を診察し、いずれも水俣病の特徴である手足の先端部ほど著明な知覚障害や口の周りの知覚障害、手足のしびれや難聴、こむら返り、視野狭窄などに苦しんでいた。 「8人とも故郷に残った両親やきょうだいは水俣病と認定されたり、被害者手帳を持っていたりします。そして8人すべてが疫学的にも神経学的にも水俣病と言えるのに、東京はじめ本州の病院からは被害申請のための診断書の作成を拒まれるそうです。全国各地にそうした人はいっぱいいるんです。水俣病はまだまだ終わってはいないんです」 緒方医師は今年6月末にも検診などのために上京。その際に診察した水俣市出身の関西在住の60代の男性は、幼いころから魚介類を毎食のように摂取し、10歳ころには手足にしびれを感じ始め、鉛筆が持てないこともあったという。故郷の両親ときょうだいは水俣病の認定患者となっている一方、この男性は先の8人と同様に関西の病院から水俣病の診断書を断られている。 緒方医師は言う。「水俣病だという診断書を書きたがらないのは本州に限らず、水俣の医者も同じです。申請に向けた診断書作成をいやがる理由は、国や行政にきらわれたくないとか、国側の意向を忖度して自己規制してしまうのでしょう。批判されたくないという思いから委縮しているのだと思います」