「まだ終わっていない」60年目の水俣病 被害申請の診断書も書いてもらえず
「一人ひとりに突き付けられた問題」「知って何を感じ、考えるか」
一方、続いて講演した「水俣病センター相思社」の永野さんのテーマは、「いま水俣病患者ではないわたしたちが語るということ」。冒頭、永野さんは参加者にこう呼びかけた。 「水俣病歴史考証館を訪れた人に感想を聞くと、『自分には語る資格がない』と言う人がいます。ではどういう人が語る資格があるのかと問うと、『患者か、長年関わっている支援者だ』と。では、私やあなたには語る資格はないのだろうか……、違うと思うんですね。水俣病事件というものを知って何を感じ、何を考え、または選択してどう動くのか――。わたしたち、あなたたち一人ひとりに突き付けられた問題なんです。だから、(自分の言葉で)語らなければならないんです」 永野さんは「水俣病は理屈じゃない。戦争と同じように二度と起こしてはいけない」と言う。そして、「水俣をはじめ、全国には今も苦しんでいる人たちが大勢いることにまず、目を向けなければならない」と訴える。 東京での水俣病検診は、緒方医師と永野さんによってスタートした。在京の医師らによる、水俣病特有の症状に苦しむ患者への理不尽な対応に業を煮やしたからだ。 永野さんは「東京では診断書の作成拒否はもちろん、水俣病の手帳を持っていている人ですら、『あなたは水俣病ではないので、この手帳は使えません』と言われる事例がすごく多い」と憤る。そうした医師たちの行為の背景にあるのは、緒方医師が指摘したように「(国などから)目をつけられたくない」といった懸念なのだという。 「私は水俣で、『水俣病の認定申請したけれども却下された』という患者さんの悔しい思いを目の当たりにしてきましたが、東京ではそれ以前の被害申請に向けた診断書すら書いてもらえない事態が一般化してるんです。東京の患者さんが安心して生活できる状況にするためにも、水俣病の診察をし、診断書を書いてくれるお医者さんを一人でも多く掘り起こさなければ、と考えています」