《ブラジル》記者コラム=日本人初アマゾン川遡行した冒険家=渋沢栄一やアインシュタインと親交も=小林美登利の桁外れな生き方
聖州義塾の小林美登利
「自宅に渋沢栄一直筆の掛け軸があります」という話を聞いた際、最初は耳を疑い、メールで送られてきた写真を見て眼をみはった。しかもブラジル日本移民史上の有名人物の孫からの話だ。 以前、このコラムでも「総親和総努力(皆が仲良く努力し合う) 八十九翁 渋沢栄一書」という額がモジ市のピンドラーマ会館や日本語モデル校にあることは書いた。今回は直筆であり、さらに貴重な一品といえる。 このメールを送って来たのは小林眞登さん(45歳、3世)で、清和友の会が先日アンシェタ島ツアーをした際に、「白虎隊」の見事な剣舞を披露した人物だ。眞登さんは、戦前に聖州義塾をサンパウロ市に創立して雑誌を発刊していたインテリ、冒険家にして宗教者や教育者でもあった戦前移民、小林美登利(福島県出身、1891―1961年)の孫だ。 眞登さんが書いた「日本の渋沢栄一とブラジルの小林美登利」(https://note.com/lomkjp/n/n1355795db19a)によれば、《『渋沢栄一伝記資料』には1929年「六月九日 午前九時 小林美登利氏来約(飛鳥山)」とあり、その後に小林と四回も会っている》とある。小林の親友・同志社大学前社長の原田助が書いた紹介状を持ち、飛鳥山邸を訪問し、聖州義塾の意義と支援を訴えたようだ。 同ノートによれば、渋沢は訴えに共鳴し、7月11日に東京銀行倶楽部で日米関係委員会小委員会を開き、「特に北米移民問題も最初から準備してかかっていれば、今日の様な結果(編注=排日運動)にはならなかったであろうと思う時に、前車の覆るは後車の戒めなりという諺もあるので、南米に於ける移民問題の将来につき今より適切な方法を講じ置くべきではなかろうかと思いまして、ブラジル・サンパウロ市の聖州義塾塾長小林美登利氏の提案に共鳴したわけであります」と発言した記録が残っているという。 渋沢は多くの有力者に小林の紹介状を送り、その事業への賛助を募ったという。その繋がりから渋沢は卒寿(90歳、1930年)を記念した掛け軸を贈ったようだ。 眞登さんからはもう一枚の写真も送られきた。なんと相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタイン博士からの祖父宛ての手紙で、次のような内容だという。 《Q: 先生は神とイエス・キリストを如何にお考えになられるか? 博士: 超自然的宗教信徒は私には不向きなある物です。しかし私はナザレのイエスの中に悟りを開いた道徳的教師の姿を見るものであります。けれども私の意見として彼は人間が実行し得る以上のもの(即ち汝の敵を愛せよというが如き)を要求しておるということを告白せねばなりません。この点においては古代中国の道徳的教師等の方が私の心情にもっと近くあります》というものだ。 つまり、1950年時点で宗教論争をしている。どのように知り合ったのかなど詳細は分からない。だが、「日本資本主義の父」「20世紀最高の物理学者」と親交のあるブラジル日本移民がいた―という事実だけでも特筆に値する。
【関連記事】
- 《記者コラム》聖人の島で起きた無慈悲な惨劇=南国の楽園を地獄に変えた近代史 2024年8月27日
- 《記者コラム》「どうしておじいちゃんはブラジルで生まれたの?」=日本人大学院生が地球の反対側へ墓参り=100年後に5世代目がグローバルな親戚交流 2024年8月20日
- 《記者コラム》〝影の立役者〟松林要樹監督=政府謝罪に導いた重要な映画=ブラジル近代史の一隅を照らす 2024年8月6日
- 《記者コラム》魂が洗われる瞬間に立ち会う=天国で先人が微笑む歴史的な日=政府謝罪が実現した意義とは 2024年7月30日
- 《記者コラム》戦時中に迫害された日本移民=「強制退去事件」の謝罪求める=家族にも語れない悲劇のトラウマ 2024年7月23日