《ブラジル》記者コラム=日本人初アマゾン川遡行した冒険家=渋沢栄一やアインシュタインと親交も=小林美登利の桁外れな生き方
「スケールの大きな明治の日本人移民」
小林美登利は京都同志社大学神学部卒、1916年にハワイへ渡航。米国本土に転じてカリフォルニア州のオーボルン神学校に学んだプロテスタント信徒だ。排日機運高まる北米を後にして1921年に渡伯、サンパウロ市の「伯剌西爾時報」社で記事を書きつつ、マッケンジー大学でポルトガル語を勉強。雑誌「市民」の創刊後、キリスト教布教のための日曜学校開設を経て1925年に聖州義塾を開設した。同塾内にキリスト教会を創立し、全伯柔剣道連盟発起人の一人となった。 これは、初期移民の中でも典型的な「スケールの大きな明治の日本人移民」の経歴だと思う。 具体的なパターンとしては、幕府側や佐幕派領地に生まれ、大学で高等教育を受けて、日本人の世界発展を目指して欧州や米国を目指すも排日の高まりを受けて挫折し、ブラジル転住というパターンだ。「スケールの大きな明治の日本人移民」としては次のような人々が挙げられる。 南米最初の邦字紙「南米週報」を刊行して移民初期にアルバレス・マッシャード植民地を作った星名謙一郎(愛媛県)、衆議院議員や同志社第4代社長を務めたのちに米国移住してブラジル転住し農場を経営した西原西東(高知県)、北米を手始めに南米を一巡した後ブラジルに柔術を伝えたコンデ・コマ(岩手県、前田光世)、米国からの転住者で最初のブラジル邦字紙3紙の創刊に関わり今年100周年を迎えるアリアンサ創立に尽力した輪湖俊午郎(長野県)、ペルーやボリビアを経てアマゾン下りをして来伯して球陽協会創立に携わった翁長助成(沖縄県)、ブラジル軍艦の柔道教師として渡伯して日伯新聞社主となり日本政府批判を繰り返して3度も国外追放されて欧州を経て帰国した三浦鑿(高知県)、北満洲ハルビンの日露協会学校でロシア語を学んだあと渡伯して大戦中の日本移民迫害を書いた禁断の書『南米の戦野に孤立して』を出版して公安警察から国外追放裁判を起こされた岸本昂一(新潟県)などだ。
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