「引退後、家族でゆっくり過ごす予定ですか?」質問に岡崎慎司の妻が話した答えは…家庭にもピッチの仲間にも“岡ちゃん”が愛されるワケ
「あぁ自分って、そういうレベルなんだ」って
シント・トロイデンに来てからの2シーズン、若手選手にはたくさんの刺激を与えてもらったことに感謝しているのだが――歯がゆい思いを味わうことの方が多かったかもしれない。 「僕は言葉が先行するような先輩にはなりたくなかったんですよ。別に黙々とやってきたわけではないですけど、ケガもあったし、プレーも上手くいっていなかったので。『そんな人間が何をアドバイスするんだ』という方が大きかったですね。自分の理想はやはり、プレーで引っ張ること。そういうところ(が上手く見せられなかったこと)で、引退も見えたというか……。『あぁ自分って、そういうレベルなんだ』と思ってしまって」 ゴールを決めて、スタンドの方に走り出し、チームメイトが祝福にやってくるのを待つ。あるいは、地面すれすれのボールにも、頭から飛び込んでいく。 現役時代のそんなシーンが脳裏に焼き付いている人は多いだろう。岡崎は背中で引っ張るストライカーだった。
両チームから用意された“サプライズの花道”
ルーベン戦では、予定されていた引退セレモニーとは別に、サブライズがあった。 52分に交代でベンチに下がるときに、シント・トロイデンだけではなく、対戦相手の選手も含めた全選手が花道を作ったのだ。ルーベンに三竿健斗らがいたこともあり、シント・トロイデンのチームメイトたちが事前に調整してくれたのだという。 両チームの選手に送り出されるシーンはとても珍しい。例えば、ドルトムントで12年間プレーしたマルコ・ロイスも、今シーズン限りでクラブを離れるため、ホーム最終戦で交代の際に花道を作ってもらった。ただ、花道を作ったのはドルトムントの選手だけだった。 岡崎が特別なのだ。 しかも試合後にはピッチの中央と、サポーターの陣取る前とで、2回にわたって胴上げをされた。誰からも愛されるその人柄と偉大な功績を称えられたから、「記憶」に残るようなセレモニーで送り出された。
長谷部誠から祝福されたダイビングヘッド弾
やはり、岡崎は「記憶の人」なのだろうか。 確かに、「記憶の人」で終わりそうな時期はあった。 2009年6月6日、ウズベキスタン戦で南アフリカW杯出場を決めるゴールを岡崎が決めたときのこと。岡崎らしいエピソードが満載で、話題になった。 試合の前には尊敬してやまない中村俊輔から「オカ、ここまでよく頑張っていると思うよ。でも、次の公式戦で決められるかどうかが大事なんだ」と声をかけられていた。 また、このゴールをアシストした中村憲剛との相性がとにかく良く、日本代表における最初の8ゴールは全て彼と一緒にピッチに立っている時間に生まれている。そして、このゴールは、自ら左足で放ったシュートを相手GKに阻まれた後に頭で押し込んで生まれたものだった。 あれは岡崎自身も印象深いゴールの1つに挙げており、そこから数年間、ダイビングヘッドは彼のトレードマークとして語られるようになった。 実は、この試合の直後に長谷部誠からこう言われている。 「これで、CMの依頼がたくさん来るだろうな!」 実際には予想は少し外れて、すぐに依頼は来なかった。ただ、これは岡崎が「記憶の人」になれるだけの活躍をしたと長谷部は感じたからこその言葉だったのだろう。
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