<解説>庵野秀明、出渕裕が語った「宇宙戦艦ヤマト」の衝撃
人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の放送50周年企画の第1弾となるイベント「『宇宙戦艦ヤマト』放送50周年記念上映会」が10月6日、新宿ピカデリー(東京都新宿区)で開催された。1974年10月6日午後7時半のテレビ放送開始から、ちょうど50年の2024年同日同時刻に開催された一夜限りの上映イベントで、「エヴァンゲリオン」シリーズなどで知られる庵野秀明監督、「宇宙戦艦ヤマト2199」を手掛けた出渕裕さん、アニメ・特撮研究家の氷川竜介さんがゲストとして登壇。庵野さんらが「宇宙戦艦ヤマト」の“衝撃”を語った。 【写真特集】「ヤマト」庵野秀明監督が新作アニメ制作 どうなる??
◇友永和秀の作画の衝撃 波動砲にもシビれた!
「宇宙戦艦ヤマト」は、それまで“子供のもの”とされ、“テレビまんが”とも呼ばれていたアニメのファン層を大きく拡大し、劇場版アニメも大ヒットするなど社会現象となった。
庵野さんが「この作品がなかったら、今のアニメは違う形になっていた」、氷川さんが「『ヤマト』がなければ、アニメは中高生向けに開かれず、ずっと子供向けテレビ番組として続いていた。おそらく宮崎駿さんも子ども向けの長編まんが映画を作っていたはず」と語るように、日本のアニメブームの先駆けとなった。
庵野さんは「第2話の主砲の作画にシビれました。僕がヤマトの沼にハメられたのは、友永さん(友永和秀さん)の作画です。本当にすごい」「波動砲にもシビれた。(発射まで)2分10秒もかかっているんです。大砲を一発打つのにそんなにかけるテレビまんがなんて当時なかった」
友永和秀さんは「ルパン三世 カリオストロの城」のカーチェイスシーンをはじめとして数々の名場面を手がけたことでも知られている。友永さんの名作画が、沼にハマったきっかけとなったこともあり、庵野さんは「友永さんのせいですから。責任取ってくださいね!」と冗談めかしていたのも印象的だった。
◇「ガンダム」への影響 富野由悠季のすごさ
庵野さんが「多分アニメをやっていない。『ガンダム』もなかった」、出渕さんが「生き方が違っていた」と熱弁するように、その後のアニメ、クリエーターにも大きな影響を与えた。