【証言・北方領土】歯舞群島 水晶島・元島民 柏原榮さん(2)
―島は漁場が豊かでお父さんも商売の力があり、いい生活だったか? そうですね。だから、青森、秋田、富山から、女工さん、男工さん、結構来てましたからね。だから、子どもながらにもね、青森弁とか、秋田弁ね、「今どこどこにいてはだよ」とかね、そういうの口まねして。女工さんたち、我々遊びに行くでしょ、友だちとね。そうすると、どこへ遊びに行ってたかって。でね、あんたはどこへ遊びに行ってたっちゅうの。がーんがーっちゅうんですね。がどこさばは、どこへ行ってはたかだね、はったべとかね、何だべとか、ふんだかとか、何かそういうなのは記憶にありますね。だから、そういう女工さんに囲まれていた。男工さんは船に乗って、漁にね、ホタテとりだとか、フジコだとかね、行ったわけですから。 ―一大企業だ。 そうそうそうそうそう。動力船1隻で、そういうふうに雇衆を使っていたということですからね。 ―それだけ、ある意味では財をなした。 うん、いたと思うんですよ。そういうことで、私も、普通は、漁師の跡継ぎするなんだろうけども、もうすぐ本土に渡って学校行きましたからね。 ―学校は釧路? うん、そうそうそう。根室にいて、根室から釧路に行ったんです。 ―その釧路にいる間に、奉仕っていうか勤労動員されて。そう、予科練習生として、国のためにということで、出征兵士の1人だったんだよね。だけども、それは、負けたからならないで、そして復学した。 ―行くに当たって1回地元に行って、送別してもらいなさいと。それがちょうどその8月のタイミングだった。 そうそうそう、そうなんですね。 ―タイミングがちょっとずれてたら動員されてましたね。 そうです。だから、そのまま、じゃ、もう少しいるわっちゅうたら、ロシア人との生活とか、そういうのも体験できたのかも知らんけども、そういう接触がないくて。姉たちなんかは、ロシアの兵隊が9月の2日、3日の日に上陸してきたっていうのかな。そして、女たち、少女たちはみんな顔に墨塗って、男の服装して、天井裏に隠れて、そして、息を忍んで、その警備の人たちが帰っていくのを見てる。のぞき見してた。女がいないなあとかっちゅうて、着物下がってるでしょ。どこ行ったんだって、女の知ってたんだけどね、それで、帰ってっていったっていうか。 だけれども、そんなにね、何ていうか、ほかの島であったような、銃殺されたとかさ、逃げて…逃げるときに、鉄砲で撃たれて、そして、死には至らなかったっていう人も水晶にはいましたけどね、1人ね、話、後で聞きましたけども。だから、その監視下が厳しくなるっていうのは、どんどんどんどん逃げてくわけですよ。だから、逃げられないようにするためには、船をね、全部燃やしたんじゃないですか。それから、動力船が、プロペラで、エンジンプロペラエンジンで推進するわけでしょ。だから、そのプロペラを取ったりね、何かして、逃げられなくして、そういう人たちは翌年の、いわゆる引揚船で樺太渡って本土に来たということですね。だから、それは免れたっていうかね、水晶の人たちの8割方はそういうことにはならなかった。 ―幸い、納沙布に近かったと。 そうそうそう、近いので。もう、その納沙布、すぐ近くで昆布とりやってたわけですから。もう我が庭と同じですから。