元楽天・聖澤諒が目撃した「初めて見る野村監督の涙、弱い姿」 野村克也監督時代最後となった2009年のクライマックスシリーズの裏側
アピールするための奇策
どうすれば新監督に良い印象を与えることができるか? どうやってアピールしようか? そこで僕は、1人だけ背中に「HIJIRISAWA」と入った試合用のユニフォームを着て練習することにしたのです。もちろん、ブラウン監督に「僕が聖澤ですよ!」とアピールするためです。 これが全てではないと思いますが、名前を覚えてもらう作戦が上手くいったのか、翌年のオープン戦では積極的に起用してもらえるようになりました。ブラウン監督の下での野球は放任主義というか自由でした。試合で結果を出しさえすれば良い、良ければ使うし駄目なら使わない。方針はとてもシンプルでした。 中学時代に指導者がいない環境で自分で考えながら野球をやってきた僕にとっては、ブラウン監督の自由放任主義のやり方はむしろ望むところ。水があったというか、良いタイミングでブラウン監督に出会うことができました。
3年目で掴んだレギュラーの座
好調を維持して迎えたオープン戦最終戦。ここまでは打率3割5分くらい打っていたのですが、試合開始前に監督室に呼ばれました。部屋に入るとブラウン監督は紙に9マスのストライクゾーンを描いて、もっとポイントを絞って打ちに行った方が良いとアドバイスをしてくれたのです。確かに、それまでの僕はストライクゾーンに来たと思ったらなんとなく全部打ちに行っていました。そのことを意識してバッターボックスに入ると、その試合では早速2本のヒット。自分のなかでもブラウン監督からのアドバイスがしっくりハマった感覚がありました。 3年目のシーズンは前年の試合出場安打から135試合出場150安打。打率も2割9分と大きく成績を伸ばすことができました。バッティングが大きく向上したことで一芸選手から脱却し、目標にしていた「レギュラーを獲る」を達成することができたのです。 聖澤諒 1985年11月3日生まれ。長野県出身。長野県立松代高校、國學院大學を経て2007年に大学・社会人ドラフト4位指名で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。背番号は「23」。入団後は足のスペシャリストとして活躍し、2012年に54盗塁で盗塁王のタイトルと12球団トップの得点圏打率を記録。2013年の球団初のリーグ優勝、日本一ではチームの中軸として大きく貢献した。守備の巧さに定評があり、2014年に連続守備機会無失策のNPB新記録を樹立。2018年まで11年間プレーし、現役引退後は球団が運営する「楽天イーグルスアカデミー」のコーチに就任した。180cm80kg。右投左打。 協力:辰巳出版 辰巳出版 Book Bang編集部 新潮社
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