大量に獲れるけど安い「マイワシ」に付加価値をつけた! 『ハコダテアンチョビ』に詰まった思い
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
函館で漁師をされている熊木祥哲さん(43)。 「僕が子供の頃、函館は若い漁師が街を闊歩し、活気あふれる港町でしたね。祖父も父も漁師だったので、カッコいい漁師に憧れましたね!」 ところが高校を卒業すると「インテリアコーディネーターになりたい」と上京し、デザインの専門学校に入ります。東京への憧れがあったようです。 しかし、専門学校を出ても、インテリア関連の就職先が見つからず、就活を続けながらアルバイトをしたのが、マンション販売の会社。そのうち、勧められるまま、正社員に採用されます。1日2,000本の電話営業や、一軒ずつお宅を訪問し、地道に努力した結果、どんどん売上を伸ばして、やり手の営業マンになっていくのですが…… 24歳の時、過労で倒れて意識不明に陥り、救急車で病院に運ばれます。病名は「急性心筋炎」……、呼吸困難からショック死の恐れもありました。 意識を取り戻した熊木さんは、契約中の仕事が気になって仕方がない。ベッドの上から上司に電話をかけ、引き継ぎを頼みました。退院してからも、バリバリの営業マンとして働き続けますが、次第に心も体も疲れ果て、これ以上は無理だと29歳の時、会社を辞めます。
心配した函館の父親から「帰ってこい」と電話があり、次の仕事が見つかるまで、父親の手伝いでもするか、と船に乗ります。 この時、初めて漁師のきつさを知った熊木さん。 「苦労して魚を獲ったのに実入りが少ない。漁師ってこんなにきついんだ」 魚離れの影響で、市場のセリも安い。その後、漁師になったものの、何千万円のマンションを販売していた頃が、懐かしくて仕方ないんですね。 そんなある日、小学生になったばかりの息子から、こう聞かれます。 「パパが獲った魚って、どこで売ってるの?」 息子の素朴な疑問に、熊木さんは衝撃を受けます。農業だったら、名前や写真付きの野菜が売れるのに、漁業は誰が獲った魚か分からない。市場や組合に任せるだけではなく、漁師も売り方を考えるべきではないのか……、息子の一言で熊木さんが動き始めます……。