【実録 竜戦士たちの10・8】(27)FA戦線で後れを取った中日、『現役大リーガー』獲得「今取れる中では最高の選手」胸を張る社長
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 1993年12月6日、横浜は桜井薫専務らが横浜市内のホテルで巨人からFA宣言した駒田徳広と入団交渉を行い、横浜では球団初の大台となる1億2000万円で合意した。 「十分、十分すぎる。無駄遣いにならないよう恩返ししなければ」。FA権を行使するかどうかで揺れていた10月末のシーズン終了以降、表情が曇りがちだった駒田に、ようやく満面の笑みが広がった。 この年のFA宣言選手は5人。巨人の槙原寛己はFA残留したものの、松永浩美が阪神からダイエーへ。中日も獲得を目指したオリックスの石嶺和彦は阪神に。そして、駒田…。3人の選手が新天地で来季を迎えることになった。また、中日がひそかに獲得調査を進めていた高木豊(横浜を自由契約)もこの日、東京都内で日本ハムと会談し日本ハム入団を決めた。 FA戦線を始めとした戦力補強で、明らかに後れを取っていた中日が、「現役大リーガー」という肩書とともに、新外国人の入団を発表したのは7日のことだった。 「日本行きが決まって興奮している。来年はリーディングヒッターを狙うよ」と、ファンに向けたコメントを寄せたのはディオン・ジェームズ。93年はヤンキースでプレーし115試合に出場。規定打席には足りなかったが、3割3分2厘の高打率を残した31歳の左投げ左打ちの外野手だ。 9年間のメジャー通算成績は打率2割8分9厘の30本塁打。87年には21盗塁をマークするなど走攻守そろった選手で、三振数も93年は378打席でわずかに31。日本の野球にも十分順応できるという触れ込みだった。 年俸は外国人選手として球団史上最高となる1億7280万円。「今取れる中では最高の選手。3割を打って(日本に)来るのは初めてじゃないか」と球団社長の中山了も胸を張った。 そして大きな動きは巨人にもあった。8日、東京都内で球団の臨時株主総会と役員会を開き、長嶋茂雄監督が常務取締役編成担当に就任し、フロントの仕事も兼務することになったのだ。いわゆる「長嶋全権監督」の誕生である。 この年から導入されたFA制度では槙原、駒田の2人が権利を行使。大学生、社会人には1球団最大2枠の逆指名を認める新ドラフトでも小久保裕紀内野手(青学大)をダイエーに、河原隆一投手(関東学院大)を横浜にさらわれるなど後手に回っただけに、フロントのテコ入れ人事とみられた。 =敬称略
中日スポーツ