「神奈川を制するものは全国を制す」、東海大相模と横浜”至高の決勝戦”に酔いしれた【連載・一志順夫コラム「白球交差点」vol.5】
今夏の東海大相模は、2015年小笠原(中日)を擁して優勝した時と遜色なし
1974年からは東海大相模の黄金期で、1977年まで4年連続で夏を制している。当時個人的には森 正敏という内野手がお気に入りだった。予選で10打席連続安打というとんでもない記録を引っ提げて甲子園でも大活躍したが、原 辰徳の陰に隠れてあまりメディアに取り上げられることがなかった。直木賞作家の山口 瞳も当時のコラムで「森みたいな選手が騒がれないのはどうかしている」と書いていたほど。1975年阪急(現オリックス)がドラフト5位で指名したが入団拒否、プロ入りしないまま選手生活を終えたのは残念だった。 ようやく横浜が夏の甲子園に出場できるのは、1年生エース・愛甲 猛(ロッテ- 中日)が鮮烈にデビューした1978年夏まで待たねばならない。翌1979年はジャンボこと宮城 弘明(ヤクルト)の横浜商が横浜を決勝で破り神奈川を制したが、横浜は1980年に再び本大会に出場、1年生投手・荒木大輔(ヤクルト)が投げる早稲田実業との死闘を制し晴れて初の優勝旗を手に入れた。 東海大相模についていえば、なんと1977年を最後に2010年に一二三 慎太(阪神)-大城 卓三(東海大- NTT西日本-巨人)のバッテリーで準優勝するまで、一度も夏の甲子園の土を踏めていない。その間、80年代は三浦 将明(中日)の横浜商、志村 亮(慶應義塾大)の桐蔭学園、90年代は松坂 大輔(西武‐レッドソックス他)の横浜が存在感を示し、2000年代に入っても筑川 利希也(東海大‐ホンダ)の快投により選抜には2000年に優勝したものの、以降の夏も菅野 智之(東海大- 巨人)がエース時代でさえ勝利の女神が微笑むことはなく、その厚い壁に阻まれてきた。決してチーム力が低迷していたわけでなく、それほど神奈川は実力拮抗、「死の大激戦区」ということなのだ。 今年のチーム力を総合評価すると、藤田 琉生投手(3年)、福田 拓翔投手(2年)の2枚看板と強力打線は、2015年に仙台育英(宮城)を破って全国制覇を遂げた小笠原 慎之介(中日)世代のチームと遜色はない。はたしてそれ以来となる深紅の大優勝旗を持ち帰ることができるか。全国随一といっていい戦国・神奈川で11度目出場となる東海大相模ナインの戦いぶりから目が離せない。 一志順夫プロフィール いっし・よりお。1962年東京生まれ。音楽・映像プロデューサー、コラムニスト。 早稲田大学政経学部政治学科卒業後、(株)CBSソニー・グループ(現・ソニーミュージックエンタテインメント)入社。 (株)EPIC/SONY、SME CAオフィス、(株)DEF STAR RECORD代表取締役社長、(株)Label Gate代表取締役社長を務め、2022年退任。 アマチュア野球を中心に50余年の観戦歴を誇る。現在は音楽プロデュース業の傍ら「週刊てりとりぃ」にて「のすたるじあ東京」、「月刊てりとりぃ」にて「12片の栞」等、連載中。
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