「宇宙はゴミだらけ」――NASAもお手上げの「宇宙ゴミ」回収に挑む、日本人起業家の奮闘
北大西洋に落ちた最初のロケット
最初のロケット打ち上げは2017年11月のこと。岡田がドイツの地で決意してから4年の月日が流れていた。 「微小なスペースデブリを観測する衛星を打ち上げました。大きいのは除去するとしても、小さいものを全て除去することは現実的ではない。そうなると衛星をスペースデブリから守ることが大事で、デブリがどれくらいの密度で飛んでいるかデータを取得して、衛星の筐体開発に反映する必要があった。その観測データを宇宙機関や企業が欲しがっていました」 ロケット打ち上げの日、岡田はロシアのシベリアにいた。 「微小サイズデブリを観測する衛星『IDEA OSG 1(イデアオーエスジーワン)』の打ち上げは世界中から注目されていました。私は現地で固唾をのんで見守っていました」(岡田) ロケットが空の彼方に消えたのを見て岡田は胸を撫で下ろした。だが、直後に「衛星と通信が確立できない」という報告をスタッフから受ける。一気に体温が下がったのがわかった。 「嫌な予感がしました」 しばらくして、ロケットは軌道に乗ることなく北大西洋に落ちた。全ての情熱と時間を費やし、開発チームの希望をのせて送り出したロケットが失われた。大きなショックを受けつつ、少しだけホッとしたという。 「もし、軌道に乗って故障していたらと思ったらゾッとしますよね。デブリを除去する会社がデブリを作ったなんてシャレにならない。衛星がどうなったか判明するまでは本当に気が気ではなかった」(岡田) だが、失敗は失敗だ。投資家に対する説明が必要だと判断し、すぐに東京に戻ることにした。
打ち上げ失敗で、チームの士気低下を心配した岡田。だが、東京に戻った時に、一番心配されていたのは自分のほうだったと気がついた。 「縁起でもない話ですが、どこかに消えてしまうんじゃないかと心配したメンバーもいたとか。私たちはチームなんだと再確認した瞬間でした」 新たな闘志に火がついた。図らずも計画失敗で、岡田の取り組みは世間の注目を集めることとなり、その直後には約50億円もの資金調達を達成した。さらに嬉しかったのは、優秀な人材が宇宙に人生を賭ける岡田の姿勢に共感して集まってきたことだった。 岡田は次の計画へと着々と準備を進め、今年3月にはELSA-dの打ち上げに成功する。